生霊の話





 妙に嵐の前の静けさ、とでもいったような静けさがある。
 ということでたまにはコワイ話でもしてみるか、ということで生霊の話である。
 他人の話だけど(笑)
 いかにもオカルトチックな話だが、この話を初めて自衛隊の一年目に先輩から聞いた時のことは結構鮮明に覚えているなあ。得意ネタをここでオレが勝手に披露となったら申し訳ない(笑)


 その先輩はまあある女の子と付き合っていたんだけど、その女の子がいたずらで先輩の寝顔を撮影したんだと。そうしたらやけに煙だらけの奇妙な写真が撮れたってんで、おかしいねーとそのお母さんと話してたらしい。
 そうしたらその先輩が起きて、その話を聞いてふーんと写真を眺めていたんだと。
 で、「ここ顔っぽくない?」
 とそのお母さんが言って、
 「あ、ほんと顔っぽーい」
 みたいな話をしていて。
 その先輩はその指でさされたところをよくよく見てみると、よく知った人の顔だった……が、「確かにねーなんだろねー」とその場を取り繕った。
 背中にめっちゃ冷や汗をかいてたそう。
 でその後すぐさまお寺だかにもっていって住職さんに一部始終を話したらしい。
 すると、溜息をつかれて、
 「あー……あなたよっぽど悪いことされましたね。生霊が出るということは余程悪いことをした証拠ですよ。普通生霊なんてそうそうなりませんからねえ」
 と言われたんだと。
 で、先輩は怖くなって話した。


 実は今付き合っている女の子というのが若くて、その前に別な人と付き合っていたんだけど「やっぱ若い人がいい」という理由であっさりその前の女の人と別れたんだそうだ。付き合いは結構長くて、そこで別れたらその後どうなんの、という状況だったけどそんなことは知らんと。先輩は自分の気持ちを最優先したらしい。
 で、そういう話をしたらじゃあまあとりあえず供養してあげますけど、あまり人の恨みを買うようなことはしなさるなと先輩に一応釘を刺した。
 そうして住職さんに頼んで供養してもらったこと、それからかつてこういうことがあったんだよということを先輩はその彼女さんを呼んで全部説明したらしい。焼肉屋で肉焼きながら。
 で、彼女さんは「へー」と言いながら食べていたんだけど、……その後ろの席にどっかで見たような後ろ姿の人がいる。
 そしてその人はくるりと振り返って……先輩と目が合った。
 その人はかつて分かれた先輩の元カノだったのだ。
 そこでうわ、これはヤバいとなって一目散に焼き肉屋から先輩は逃げ出したんだそうだけど……その後二人はめでたく結婚したんだそうだけど、その元カノさんがその後どうなったかは知らない。


 当時警備の仕事しながら涼みながらその先輩の話を聞いてて、コワイと思ったのと同時に「可哀そうだな」とオレは思っていた。なんかすげえ感情移入しながら聞いていた。毎日覚えなくてはならないことの連続の中で息抜きにそういう話を聞けたというのもあったけど、えらい印象に残ったもんだった。


 なんだろうなあ、この世のパワーバランスとか妥当な流れとかがある。100円よりは100万円の方が当然いいというような。そうやって我々のこの世界って割り切られていくんだけど。それが悪いというよりかは、まあ妥当だよねというのは思う。100円選べという方がムリでしょと。
 そうやってオレたちは日々ベターなもの、ベストなものを選んでいくわけだけどその狭間でどうしても余るヤツが出てくる。選ばれない100円が出てくる。オレたちはその選ばれない100円玉に対して一体どう接していけばいいのだろう。自己責任、弱肉強食、生き残るための意志が足りなかった……いろいろ言えるけど、この世界ってのはあまりにもそれに対して冷たい。死んで当然、そうなる方が悪い、そもそも100万円を前にして我々が100円を選ばないのは至極当然のこと。それをいちいち拾っていては世界は成り立たない。
 その時「運命」に乗っているのは一体誰なんだろう。ただ流れに従って逆らうこともできぬままの100円側なのか、それとも当然のようにベターを選んだその選んだ人間なんだろうか。「そう見えている」というのは実際はそうであるのは、そうみている側ではないのか。なんとなくそう思う。運命、「運ばれる命」と言った時に私が思い浮かべるのはベルトコンベアーに乗り当然屠殺される「運命」の豚や牛である。彼らはもう殺され肉にされる以外に道はないんだよね。ここでそれを反対するというよりは、オレは大人しく死んでくれた肉になったヤツに対して手を合わせる……「運命」ってそういうもんなんじゃないのかなと。
 あるものだけがすべてじゃない。
 死んでくれて、土に還ってくれて余ったらゴミ箱にポイされるだけ……そう、そこまで含められたゴミクズの「運命」というものを感じる。生きているってことはそうしたゴミクズたちに呪われて成り立っている。選ばれなかったゴミクズたちは実質そうやってゴミ箱にポイされつつ我々の目の前に「あるもの」「見えるもの」を支えているんだなと思う。


 オレがこの話にすごく引き付けられたのは、別になりたくてなったわけじゃないゴミクズたち、その運命の悲哀というものを多分ものすごく克明に描けているからなんだと思う。
 別に敢えて牛や豚を用意しなくても、我々はあまりにも犠牲を求めすぎる。
 「ばっかー」「はいしねー」みたいな調子で、ゴミ箱にポイされるものが多すぎる。そういう楽しさもわからんでもないけど、でもその犠牲は本当に必要だったのだろうかと。失敗作とか落伍者がいる、それによって得ている安心と優越感がある。でもそれって本当に健全な形なんだろうか、どうも何かがおかしいと思ってしまう。それをそう取らないというのも非常におかしな話なんだけど。まるでこの世の繁栄ってものが墓地で運動会でもしているかのように思えてしまう。


 いかにも先輩をくそみそに言ったかのようだけど(笑)
 どうにもまとまりがつかない。まあこういう話がありましたよということで(笑)





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