菜根譚47、苦中に楽を見出す(重耳が土をもらう話)






 「静中の静は真の静ではない。動の中でも静に処することができて初めて本当に達するべき心境に達したといえるのである。
 楽中の楽は真の楽ではない。苦しみの中でも楽を得ることができて初めて心体の真の機を見ることができるといえるのである」


 ・「治極まりて乱生じ、乱極まりて治生ず」という感じがします。正反対の物の中に芽が含まれているかのような言い方はたびたび出てきたような気がしますが、これも似た感じですね。ただ、正反対というよりは現実においてという意味合いが強いようにも思われます。現実の騒乱の騒がしさの中で静を見出す。あるいは現実に生きる苦しみの中でも楽を見出す。正反対という意味合いもあるのでしょうが、そういう方向性がより強いんじゃないかなと思いますね。


 ・昨日の話を広げますが、重耳(ちょうじ)が放浪している時にとある農村を通りかかります。
 困窮し、疲れ果て、食べるものにも事欠くようなみすぼらしい有り様で、近くの農民に食糧を乞います。
 すると農民は器に土を盛って重耳に差し出します。
 このあまりの無礼な様に激怒した重耳はこの農村を皆殺しにしようとしますが(実際によそで皆殺しした例は他にあったようです)、家臣に止められます。
 「土をもらうということは土地をもらうということです。
 この農民は土地をくれると言っているのです。
 ありがたくお受けなさい」
 ということでこの一行はその農民からありがたく土をもらい、その場を立ち去ることになります。


 ・苦境の中で窮乏しておりさらに侮辱される。
 とくにカッときやすい状況下でさらに追い打ちをかけられて理性を失う、というのはあるものです。
 堪え難きを堪えるのが忍耐、とは言うもののそれができれば誰も苦労はしません。
 この時の重耳は家臣のギャグというか洒落っ気、つまりは事態の解釈ですね。
 これによって農民を殺害することから免れ、激怒していた我を取り戻し、そしてこれは天が領土をくれる約束をしてくれたのだ、吉兆だと希望を持つことに成功しています。


 見方によっては「んなアホな(笑)」というような話ですが。
 でも実際にそれによって農民を殺害しなくて済んだわけですし、激怒して当たり散らさなくて済んだわけです。ということはそれには紛れもなく効果があったわけです。効果があったということになるとこれはなかなかバカにできない。
 腹を立てて余裕のない心に余裕が取り戻せた、そして先行きのない状況で希望を得た。苦境の中で得たこうしたものがどれだけ有意義であり、また効果が大きいのか。
 下手に食糧を乞うて食糧をそのままもらえることよりも意義は大きい、というより不足している食糧をそのままもらえるとすればお腹を満たして終わりとなりかねない。そうなるとありがたみは大きいとはいえるのだと思いますが、それが精神的に得られるものや成長ということに繋がるとは言い難いと思います。



 ・この話を単純に「要は何事につけてもプラス思考は大切ってことだね」とまとめることは非常に容易いのですが。そう思うことはちょっと弱いし希薄かなという気がします。受動的というかですね。
 絶望の中の侮辱、イライラしている時のとどめの一打。そういう「プチっ」ときそうな瞬間にこそ、いや待て待て、ここは重耳のあの土をもらう時のヤツだよと思い返して、これぞ僥倖、吉兆の兆しだと解釈するようなしなやかな強さを持ちたいものです。




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