菜根譚42、心の虚と実(章邯の必殺技の話)






 「心は虚でなければならない。虚であれば義理が宿る。
 心は実でなくてはならない。実であれば物欲が入らない」


 ・解説本では空虚と充実とありますが、いずれにせよ矛盾した記述です。
 満たさなくては物欲が入るからよくないが、空っぽであれば義理が宿るんだと。
 言ってみれば「空気で満たす」的な方向性でここは解釈してクリアしたらいいのかなと思うのですが(笑)


 ・まあでも考えてみればないならないで枯渇するし、あったらあったで執着が始まるというのはいろいろな事に付きまとうと言えるのかなと。例えば金がなければ生きていけませんが、あり過ぎれば今度は失うことを恐れなければならなくなる。財産がないならないで目を鋭くさせて得るために必死になりますが、得たら得たで今度は戦々恐々としてなくてはならない。
 そうなると適度な具合というのは非常に難しいなと。
 多分私の考えでは「適度」なんてものはほぼなくて、なくてがめつくなるか、あって猜疑心の虜となるか。攻撃的になり積極的に奪うか、保守的になり徹底的に守るか。ほぼ二者択一と言っていいと思います。


 恐らくは同じ状態を「ある」と言うことによって執着から回避する。
 あるいは「ない」と言うことによっても同じように執着から回避するというのが大切だというのが、本来はここでの本題なのかなと思います。
 だから適度(中庸)な具合を探すというよりかは、場合場合によって「ある」ということのいい面を引き出して当たる、あるいは「ない」ということのいい面を引き出して当たるという姿勢が大切なのかなと。


 ・先日も出しましたが、章邯(しょうかん)という武将が秦の末期にいました。
 章邯

 陳勝呉広の乱を打ち破った将軍として有名ですね。
 この人は間違いなく名将でしょうが、ただ問題として夜襲が多かったというのを結構誰もが知っていたわけです。
 項羽の下で働いていた范増(はんぞう)は恐らくそろそろ夜襲をかけてくるなと予測し、兵を伏せさせて章邯を撃退することに成功しています。また、韓信も同様に章邯は夜襲が得意だからそろそろやってくるだろうと予測し、同様に破っていると。
 言ってみれば「得意技」であり「必殺技」的なのがあるわけです。これによって起死回生の一手を打つことで劣勢を挽回し、そのまま流れをこちらに手繰り寄せることのできる一手。そういうものを恐らくは誰もが自然と持つものなのではないかと思います。ただ、章邯の場合は明らかに敵側が知り過ぎていたし、多用しすぎていたのが問題なわけです。
 そして項羽との戦いで既に負けているのにも関わらず、相変わらず韓信戦でも使っている。通用すると踏んでいるわけです。


 そうなると、じゃあ得意とは何かと言うことになると思います。
 「オレにはこれがある!」と自信を持って胸を張って言えるものがある、それは素晴らしいことでしょう。実績があり、うまくいった成功経験があり、何より自信があるわけです。
 でも章邯の場合、これは自信だっただろうか。確かにそれは間違いなく自信だといえるでしょうが、でも同時に執着だともいえるのではないかと思います。それは妄信だといってもいいものでしょうが、でもある意味では「その他の選択肢」を持てる可能性というのを一番削いでいるのは、よりによってもっているその得意技だということは言えるのではないかと。得意であり、自信があり、確信があるそれがその他の可能性の芽を一番削いでいる。
 例えばそれは「オレはここぞという時にはじゃんけんでパーを出せば絶対に勝てるんだ」というに等しいものだと言えるのではないかと。
 「最初はグー」のタイミングでパーを出せば、ほぼ100%勝てると言っていいわけです(笑)
 でもそれすらも手の内を読まれれば、今度はチョキを出してくるヤツが出てくるかもしれないと(笑)


 こうして章邯は「最初はグー」のタイミングでパーを出せば勝てることはわかっていました。しかし范増や韓信によって手の内を読まれ分析され、夜襲返しによって徹底的に打ち破られていますが、でも夜襲以外の選択肢を使った試しがほとんどない。少なくともあまり聞きません。
 章邯は夜襲によってあまりにも勝ちすぎ、夜襲という得意技によってオレは絶対に勝てると妄信し、そして成長の芽を摘み取ったと言えるのではないかと思います。
 言ってみればそれは固定観念の域に到達している。
 自信とか成功体験というものが可能性を摘み取っているという非常にいい例だと言えるのではないかと思います。オレはこれによって勝てるんだという確信が妄信に繋がり、妄信が負けをもたらす。柔軟性を打ち消し、その他の可能性を奪っていく。
 成功にはそういう一面があると言えるでしょう。


 ・成功というものが人を執着させることを見てきましたが、でも失敗も人を誤らせますよね。
 何をやっても失敗ばかり、うまくいかない。
 それが10、20と積み重なると
 「何をやってもダメだ、うまくいかない」
 となるのも人です。要するに腐ってしまうと(笑)
 成功によって言ってみれば人が前のめりになって失敗するとすれば、失敗によって人は後ろのめりになって失敗するといえる。そういう例を出したかったのですが、ちょっと出てきませんでしたね。


 ・とにかく、心は「虚と実」という両面を持ち合わせる必要があると。
 欲望だってあれば執着し、なければがめつくなる。
 成功すれば執着し、失敗が続けば腐る。そうしてバランスを欠いてしまう。
 「オレはいけるんだ」と誤解し失敗して身を亡ぼす。
 あるいは
 「オレは何をやってもダメだ」と誤解して腐る。
 そうではなく、勝っても驕ることなく執着しないとか。
 あるいは負けが続いても腐ることのない心とか。
 そういう風に、どっちかに極度に偏ることのない、その状態に陥ることのない心の具合というものの方向性がここでは指摘されているのではないかと思いました。




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