鶏鳴狗盗3






 ところでなぜこんなに鶏鳴狗盗に、つまり「卑しい連中」の活躍ということを見ているかって、この劉邦の王朝とその後の後漢王朝の建国者である劉秀との繋がりあたりにかなり大きな問題があったのではないかということである。


 特にその中でも特筆すべき要素が最も大きいだろうと思われるものというのは、昆陽の戦いである。


 一説によると100万の軍勢に劉秀が1万で突撃していって勝ったとかいうとんでも説もあるが、まあ誇張なのは確かだろう。しかし問題はその誇張がひどいということではなく、誇張というものをどうしてもどこかに挟みたかった事情はあったのではないかということである。ここでも新軍に対して43万に1万で突っ込んだと書いてあるが、これも恐らくかなり誇張が入っているのではと思う。なぜそういう誇張を挟まなければならなかったかって、農民出身の劉邦という人物が皇帝になったという話は非常に面白いし、まさに運命であり選ばれた人物であり神意というものを感じさせはするものの、それもそう長くは続かず「農民出身なんて出自が卑しくていかがわしい」という見方が常に入り続けていたのがこの漢という王朝の宿命だったのではないかということである。そういう劉氏に対するいかがわしい見方があって、しかも案の定王朝は腐敗し乗っ取るとか乗っ取られるという話になっているために前漢は崩壊したわけだが、何故乗っ取られるような要素が入ったかって、皇帝が農民出身という出自では威厳があまりにもなさすぎたんじゃないだろうか。
 これがもしも項羽による王朝だった場合、あの苛烈な政治をした秦に対し武力によって圧政に立ち向かい覆した英雄項羽という色合いを出すことは非常に簡単である。しかも項羽には悲劇の楚の名将項燕の血が流れている。血筋からしていかにも立派であり、それだけで納得させる要素があるのだ。ところが劉邦には全くそれがない。農民出身で立身出世は素晴らしいが、それを快くも思わない連中がいたとしても全くおかしくはないのである。

 ついでに、劉秀は光武帝と呼ばれるわけだが、その配下には「雲台二十八将」というものがある。

 数え方によっては雲台三十二将ともなることがある。
 こういうの歴史好きとしては非常におもしろいし好きなのだが、そういう要素を省いてこれを見た場合にあるのはなぜこうもなんかそれっぽいやつを用意しなくてはならなかったのかってことである。しかもこの28人がいかに名将揃いであろうとも、皇帝である劉秀が100万に対して恐れをしらずに突撃したという逸話だけですごすぎるので、これでもうお腹いっぱいで十分すぎないかと思えるのだ。
 これも憶測だが、劉秀の逸話があまりにも凄すぎるので確かに28人の名将がいたといえば聞こえは良いが、それって要するに「雑魚ぞろい」だったってことだろうという見方が入ったんじゃないだろうか。で、存在感がまったくなくなってしまったけど「いやいや、劉秀の旗下にもこんなに実は名将がいたんでございますよ」ということで慌てて付け加えられ話を盛られたのがこの28将だったのではないだろうか。で、確かに彼らは活躍しているのだが、いくら活躍していても劉秀ほどではないのだ。何しろ100万の軍勢に突撃して勝ったのだから。そうなると、最初の印象である「雑魚ぞろい」の感がどうしても否定できない。そしてそれはけっこう正しかったんじゃないだろうか。要するに皇帝があまりに素晴らしすぎたからそれに合わせていろいろこじつけたということである。

 ・特に前漢の初期は粛清に次ぐ粛清で非常に血なまぐさい王朝であり、なぜそうなったかって考えるとやはり農民で治世の方法を知らなかったからなんだろうなと。血筋がしっかりとあってそれなりに経験があり、誰もがそれに従う状態とはやはり違うんだねという見方はあったんじゃないだろうか。そういう農民王朝に対する失望感があって、あーやはり崩壊したか、妥当だろうなという見方があったと考えると、前漢から後漢へという王朝の復活、それに合わせて何らかの権威付けをしたかった人たちの思惑というものはあるんじゃないだろうか。劉邦は確かにいろいろまずかったかもしれないけど、でも劉秀は違うよと。こんな逸話があるし、名将も揃っていてこれならいかにも統治するのに相応しいだろうと。


 そういうわけで、孟嘗君の鶏鳴狗盗、卑しい連中も時と場合によっては役に立つということとその見方はあるのだろうが、それだけでは人は納得しないという話になった時に、威厳と納得感というものをどうしても必要とした、必要としていたので誇張と脚色を用意してきたということこそが常に漢という国に付き纏っていた要素であり国としての宿命だったんじゃないだろうか。





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