Lルートをデニムが選んだ場合、虐殺に反対したヴァイスは古都ライムでの遭遇時にLになっているが、これがなぜLなのか。本来はCではないのか?という疑問がある。
少なくともデニムは虐殺に反対した場合はCになる。そうなると、全く同じ場面で全く同じ選択肢を選んでいるにもかかわらず、なぜアラインメントがずれるのかという謎がある。この謎に関してバカ論クズ論を展開させていくとどうなるかという話である。
・そもそもガルガスタン内で真相の流布活動をしていた頃のヴァイスは紛れもなくCだったろうということが考えられる。
まず虐殺に反対して解放軍を離れたということは非常に大きい。デニムがCになったことから考えてもこの決断でCになるはずだというのが自然で妥当だと考えられるだろう。その選択肢を選んでなおかつLになるというのは辻褄が合わない。
つまりこれを言葉に直すと、虐殺を許容するようなクズになりきれず、そのことを割り切ることができずに解放軍から離れたわけで、つまりは自らの滅亡の危機がある、だとしても虐殺を選ばないような「バカ」だったのがヴァイスということになる。これはCのデニムと同様である。
しかもよりによって敵側であるところのガルガスタン内に行き、「あれはウォルスタ軍の狂言だった」と真実を流布するのだ。しかもよりによってウォルスタ人である、ガルガスタンにとっての敵対勢力であるヴァイスがである。
つまりは、これこそ「バカの中のバカ」と言っても過言ではないのがこの時のヴァイスだったのではないだろうか。
だとすれば、Cの中のC、博愛とすら言えるものを持っていたのがこのときのヴァイスだったと言えるのでは。それはつまり、虐殺してそれをガルガスタンになすりつけるというウォルスタの狂言が許せなかった。彼らの所業を許せない、もはやウォルスタ首脳陣は人類の敵だと言っても過言ではない、というのがあったと考えるのが妥当なのでは。そうしたものの前にあっては、ガルガスタンの民もウォルスタの民も同じだと。被害者であり犠牲者でもあり、ただただ為政者によって騙されるだけ、手玉に取られるだけ。
つまりは、これこそ「バカの中のバカ」と言っても過言ではないのがこの時のヴァイスだったのではないだろうか。
だとすれば、Cの中のC、博愛とすら言えるものを持っていたのがこのときのヴァイスだったと言えるのでは。それはつまり、虐殺してそれをガルガスタンになすりつけるというウォルスタの狂言が許せなかった。彼らの所業を許せない、もはやウォルスタ首脳陣は人類の敵だと言っても過言ではない、というのがあったと考えるのが妥当なのでは。そうしたものの前にあっては、ガルガスタンの民もウォルスタの民も同じだと。被害者であり犠牲者でもあり、ただただ為政者によって騙されるだけ、手玉に取られるだけ。
それが許せないのだと。
・そうして古都ライムでヴァイスと再会してみると、なんとヴァイスはLである。じゃあなぜバカ論に基づいて虐殺に反対したヴァイスがCからLになったのか、である。
これはなぜなのかと思うに、この時のヴァイスはネオウォルスタ解放同盟を作って自ら組織していたという事情が大きいことが挙げられる。その組織のリーダーとしてウォルスタ解放軍とは別の目標と秩序を掲げていた。秩序を掲げてそのために生きる「クズ」となった。そしてその意味では、Lを選ぶ人々の気持ちであり気苦労がわかるようにもなった、ということでもあるだろう。なにしろ、ネオウォルスタ解放同盟という組織はデニム率いる軍に2連敗を喫することになるのだから。一度目はガズンが勝手に攻撃して破れ、二度目はなんと自らが率いる主力部隊で(アロセールの独断行動があったにせよ)、デニム相手に負けることになる。
これが意味することは何かって、ヴァイスのその組織内での立ち位置であり権威であり発言権というのは、(トップであるくせに)そこまで高くなかった可能性があるのではないかということである。なんといっても実績としては百戦百勝のデニムと違い負け続きだったわけだから、人心を掴むだけの能力には欠けていた、人々にそう見られていてもおかしくなかった事情があり、その可能性はあるといえる。これはLのロンウェー公爵がレオナールに裏切られる前後でもあるので、そういう目線でヴァイスを見るヤツは少なからずいただろうなというのも察しやすいところである。
リーダーはそりゃけっこうだが、寝首を掻かれかねない意味では一番危ういのも確かである。実績がなく信用がなく、若さしかないのがこの時のヴァイスだと言える。
・そして話が進み、ヴァイスはデニムの指揮下に入ることになる。この時のヴァイスというのはガルガスタンの本隊を引き付けたために負けて捕まり拷問を受けた後である。
つまりこの負けに関しては別にデニムに負けたというわけではないが、そしてこれはもう勝てないだろうなという戦闘ではあったにせよ、「ガルガスタン相手にも負けたのか、ザエボスはヴァイスより強いのか……(しかしデニムはバルバトス枢機卿を倒していたけどなあ??デニムだったら奇跡を起こしたかもしれないけどなあ?事実ザエボスはデニムが倒したし)」という時期でもある。敢えてそう見るならばだが、この時期というのはヴァイスの求心力が完全に失われた時期でもあったといえるだろう。
・ところがこの直後、加入時にはヴァイスはNになっている。Lだったはずのヴァイスが、クラスがウォリアーになるのに伴い、アラインメントをNに変化させている。
これはなぜなのか。
ウォルスタ解放軍は解体され、デニムの旗下に入る。そしてネオウォルスタ解放同盟も解体は同様。つまりデニムというトップの下にみんなで入ることになった。ヴァイスはリーダーではすでになくなっていたのである。でも本当にリーダーではなくなっていたのか?ということである。これは実質的にリーダーからの罷免であり、誰もがヴァイスをリーダーだと認めなくなっていた事情が大きいのではないか。
ところで、この場合デニムは全くの「クズ」である。何しろ率先して自民族の虐殺を行い、それを敵になすり付け、公爵を殺害し、しかもそれをレオナールの責になすりつけているのだからこの物語でもまれに見るクズ、もはやクズ中のクズだといっても過言ではない。そしてその真相はヴァイスも当然重々承知している(許してはいない)。
そのデニムの下に入るということは、その時点で「クズ」をある程度許容しているということになる。つまり「いやバカ正直に理想を求めるのはわからんでもないけど、お前の実績であり求心力に一体誰がついて行くの?それよりは普通デニムにみんなついていくでしょう」ということである。バカなだけでは生きていけないんだね、生きていくためにはそこそこの「クズ」も許容しなければならないんだねということである。
あれだけ虐殺を主張していたヴァイスが酸いも甘いも嚙み分けて、その末にデニムという存在、しかもクズ中のクズであるところのデニムという存在をある意味受け入れたともいえることになる。
・そして結果から見ると、虐殺よりは理想を唱えておきながらも、その「バカ」を断固貫くには……それを現実社会の中で生きていきつつ、死なずに済み、なおかつ主張する……というためにはどこかでデニムという「クズ」を許容せざるを得ない(何しろいくらクズでも百戦百勝の不敗なのだから)。理想はけっこうだが、それを主張するためにはこういう人間を利用せざるを得ないのだなあという悲哀を感じさせる。
そして組織のリーダーとして「クズ」を貫くにも……求心力と実績が足りない。ガズンは勝手に動くし、アロセールも勝手に戦い始める始末であり、そしてその結果は負けなわけで、ヴァイスの関わる組織の負け率はなぜか異様に高い。組織として統率は取れないし、統率を取れるほどのカリスマ性にも欠ける。だからムダに負けるのだが、負けるから求心力を失い、失うから部下が勝手に動き始めるという悪循環に陥っている。さらには会議の場面では好き勝手に喋りまくるやつら(しかも元部下)を止めることすらできない、もはや学級崩壊寸前のクラスとその担任みたいになっている。
そしてヴァイスのカリスマというのは、ガルガスタンに負けた際に完全に瓦解したものと考えられる。
・そういうわけでヴァイスは本筋から言えば、そしてバカ論クズ論に沿って言えば、物語の進行に連れてC→L→N……とアラインメントを変化させた稀有な人物である、という仮定ができる、それを通して物語を俯瞰してみるということは可能なのではないかということである。
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