タクティクスオウガ㊱-2バカ論クズ論、ジュヌーンの場合




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 ・ジュヌーンという男がNであるのは分かりやすい。民族浄化をしたがそれは過ちだったと認め、その体制に反対するジュヌーン。それは本来典型的なLの道であり、要するにクズの道だった。つまり、命令があったら唯々諾々と従った虐殺を行った、民族浄化政策に加担したというわけだが、その結果を見て驚愕した……かどうかはわからないが、そのクズの道から外れてバカを取り入れる道を選ぶことになる。そして収容所に入れられるとなる。虐殺される側の痛みを知り、自らの過ちを悟る。


 これは余談だが、ゲームの性質上そうなるとドラグーンはNでしかなれないジョブなので、Lのジュヌーンがドラグーン以外だったろうと考えるのは非常に難しい。バスク村はオクシオーヌの存在を考えても竜と竜使いが多かったはずで、そこにドラグーン以外でジュヌーンが行くとなると、やや物語の流れがおかしくなる印象がある。あくまでジョブ的にこの事態を考えるならばという話。また、もしもそこに強引に解釈を入れるならば、Nの素養が元々あったから元々Nだったという見方もなくはないだろうが、そういう例は他に見当たらないので難しいように思われる。
 またそうして見ていくなら、Lを進んだデニムは明らかなクズだったのが自らの過ちを認め贖罪へと向かう過程でジュヌーン同様にNにならないとおかしいように思われるが、なぜNにならなかったのかというのは非常に説明の難しいところでもある。非常に難解だが、この謎がキレイに解かれる日もいつかは来るのだろうか。


 ・ジュヌーンに対してグアチャロが突きつけたのは、後悔しようと反省しようと騙されようとなんだろうと、虐殺に加担したのはジュヌーンだという事実である。命令した人間ではなくて、手を汚した人間の罪についてグアチャロは指摘する。一度手を汚した人間が許されることはないということを指摘する。

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 このことは婉曲的にデニムが指摘されている言葉でもあると言える。作戦でガルガスタンへ出発する前にデニムはヴァイスと話をするわけだが、やはり同じようなことをヴァイスに言われている。



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 ①ヴァイスはデニムを許さないということ。いろいろ理由はあれど、虐殺に賛成し加担したデニムはクズであるということ、そして許したからデニムの軍に所属することを決めたというわけではないということ
 ②しかし人は罪を悔い改めることができる生き物であり、その犠牲をムダにしないためにも戦乱を終わらせることがデニムの責任であるということ
 ③許したわけではないが、ヴァイスはデニムが己の罪を悔い改め、人生をやり直すための猶予を与えているという見方ができるだろう。あるいはそれの裏に、実はデニムの圧倒的な力を借りて状況を打破したいという思惑も当然あるだろうが。


 恐らくこうした①~③というのは、ジュヌーンを連れて行ってくれと頼まれたデニムにとっても同じような気持ちがあったのではないかと推測できるし、逆にこうした事態を前にして、知識や経験があるわけでもないデニムにとってはそれ以外の姿勢はないとも取れるだろう。知識も経験も豊富どころか、罪の大きさは意識できてもだからと言って何か具体的にできるわけでもない、途方に暮れた状態のデニムにとって、それは一種の道しるべだったに違いない。



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 ・そしてまた、デニムは自分を家族の仇だと付け狙うアロセールと対峙し、打ち負かし殺害した過去もある。恐らくアロセール自体非常に強いのもあるが、虐殺に加担したことを散々責め立てるアロセールに対し、デニム自身けっこう閉口していた、あるいは良心の呵責に悩まされていた時期もあったのではないだろうか。


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 そしてジュヌーンの前にオクシオーヌが現れる。
 まるでいつぞやのアロセールの再来のように散々ジュヌーンを責め立てるオクシオーヌに対し、第三者の立場からデニムはオクシオーヌに話しかける。それというのは結局、デニムとアロセールは対立しあってどちらかがどちらかを殺すまで決着がつかなかった、そしてアロセールを殺害することで終わりを迎えたその顛末であり結末がジュヌーンとオクシオーヌの関係性においても見通せたことが大きいだろう。その事に関してはデニムはもはや経験済みだった。デニムは二人が分かり合える道はあると踏んでいたろうし、このままだと殺し合うことしかできないのもわかっていた。



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 ・だからこそ生きてこの戦乱の行く末を見守れとオクシオーヌに対し言う。殺すか殺されるかではなく、第3の選択肢として生きて見届けるという道を示す。これが何に基づいているかといえば、自らの歩んできた道のクズさ加減であり、虐殺というクズ行為があり、それに加担してしまった後悔があり、そして仇と付け狙う人を殺害してきた苦い過去があった。そうした諸々の事柄を含めてのクズ行為とクズからは何も生まれないはずだったものが、しかし後悔の道を辿ることによってようやく結実するものがあった。ムダに命を奪うことなく、殺すでも殺さないでもなく、生きているからこそ理解し合えるものがある。

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 順番や経緯が異なっていれば命が助かっていたのはアロセールの方だったかもしれないが、Lというクズな道の果てに、そしてジュヌーンとオクシオーヌの関係性の先に、デニムがそうしたものを見出そうとしているというのは非常に興味深いところではないだろうか。



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 それというのはさしづめ虐殺というゴミクズ、希望がこれっぽっちもない中から、それを元にして咲いた花みたいなものだろうか。







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