カイジの話
最近カイジの初期を時々読んでいるが、元々利根川という人の名言を読むためのものだと思っていたので完全にスルーしていた。
そこを改めて読み返しているのだが、全くスルーしてきた分最新版のカイジを読んでいるかのようで非常に興味深い。
・最初期の限定ジャンケンというのがこれが非常に面白くて、単なるジャンケンをよくもまあこんな面白く奥深いゲームに昇華させたものだと思っていたが。ここで仲間を信じたカイジは裏切られる。
いやいや、あの人を助けてみろよ。船で負った借金は丸々背負うことになり今後船を出ても危うい。まともに生きていけない。だけどあの人を助けなければ、その分お金は入ってくるし儲かる。そして星を欲しい人も救われる。ならばどうしてあの人を助けないといけないの。あの人を見捨てればみんな助かるんだよと。
そうして仲間たちは最初の取り決め、カイジとの約束を破る。自分たちがカイジに助けてもらっておきながら、その恩を平気で踏みにじる。大丈夫、1年もあれば廃人同様になってるからもうシャバには出てこれないって。それを横で泣きながら聞いているカイジ。
相手がそういうやつであると薄々わかっていながら約束したカイジの甘さもそうだが、何もしていないでカイジの手腕にぶら下がってきただけの二人が全力で裏切って何ならカイジの命を失っても別にどうってことない、むしろいいことだと思い切り、平気で私欲の道に突き進んでいく。なんか読みながら笑えてしまった。
いやこれ、オレの実体験そのものじゃないかと。
オレはこの安藤という人に出会っていたんだなと実感した。
で、オレ猛烈に恨まれているんだけどなぜ恨まれているかって仲間の心境を考えればわかる。こいつを殺せば丸く収まるんだと思って全部背負わせて切り捨てた相手は当然その後死ななければならなかった。死ぬ予定だった。そうして何事もなく対象が死ねば、その「裏切り」にまつわることっていうのは完全に闇に葬り去ることができる。バツが悪くない、大手を振って生きていくことができるのだ。死ななければならない運命を勝手に作られており、そしてそのレールの上にオレは乗せられていた。それがわかった。
ところが対象は生きて帰ってきた。その「裏切り」であり「事細かな部分」であり「全貌」を完全に知っている人間が生きている。これほど都合の悪いことはない。それってのは非常に都合が悪いことであり、事実オレは全貌を知っていたろう。だからこそ一度目見捨てた時の要するに「死ね」というのが外れた時点で、もう「死ね」以外にオレに言うことがなかった……それは恨みであり、「死ね」の延長が「恨み」であり、「恨む権利」……オレはこいつを恨むことができるという権利へと変わっていた。恩は恩で返せというのは一つの見方だが(そしてそういう道理は99%程度周知のものだと思っているが)、それとは別に、恩があるということは対象を憎み、殺す権利があるということをも意味したに違いない。バツが悪く、恥ずかしい部分であり、何より助けられなければならなかった部分があり、そしてそれを他人に助けてもらった経緯もある。ここまでくると恩は「殺人権」の別名だということに気づかされる。恩があるということは、助けられた過去があるということは、確かに相手を消さなければならないということなのだ。カイジの最初期が言おうとしているのはそういう事情を限定ジャンケンというゲームによって浮き彫りにしたことであり、はっきりと明確化させたことが狙いなんだなと。
読みながらそうした諸々の事情が薄々透けて見えてくるかのようだった。古畑も安藤も、カイジに助けられたがゆえに、カイジを殺す権利を持っていた。殺すだけの理由があるのだ。
・しかし同時に、カイジの話の先に希望はあるのかと思えた。
いや人はドス黒いものをもっているのはわかる、そして隙あらば都合の悪い他人を抹殺したい欲望にまみれている、恩というのは恥部の別名でしかないわけだから。長く生きていれば、経験を積めば詰む程人は隙あらば裏切るようにできていることを痛感する。裏切りっていうのは利益を最大化する行為でしかないわけだから、ここぞという場面で切れば非常に美味しい手ではある。
しかし人はそういう爆弾を常に握っていると分かったその世界で、果たして誰が伸び伸びと生きようと思えるだろう。賢くはなるだろう、頭のいい立ち居振る舞いができるようにはなるだろう。でももしもそうなったとすれば、その時点でその人の生き方も人生も破綻している。
そういう人生の果てに、つまりは賢さの果てに、人は一体どんな希望を見出すつもりなのかと思えた。
いや実際オレも今いろいろな計算の先でいろいろやってはいるが、でそこで成功したとして?その先にあるものはやはり人でしかない。これだけ人の本性がクズ、それもドクズだとわかっていながら生きて、努力して、成功して、その先でまた人のそういう面を突き付けられることがはっきりとわかっていながらオレは一体何をやっとるんだ、何をやろうとしとるんだろうというのをけっこう自問自答するようになっている。それよりは少子化を徹底的に突き付けて90%くらい人を減らした方がいいんじゃないかねえ。なんて。直接何かをしようとまでは思ってないが、しかし人が減れば愚かな人間は減り、つまり悲劇の総数は確実に減る。いや本当に限定ジャンケンをゲームだと笑えないくらいにこの世界は腐ってるし、心根というものは意外なほど腐りきっていることが分かっている。それを知っている。人は確かに愚かで醜悪、恩は仇で返すし、隙あらば平気で裏切り、怠惰で考えもせず、あたかも何一つの痛覚も持たぬかのよう。
結果的に不幸も悲しみも減るんだとすれば、この圧倒的な少子化はむしろ非常にいいことなのかもしれん、単純に人が多すぎたのかもしれんな、などという感慨。
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