地獄の壁






 そういや地獄の壁とかいうのがあったなあなどと。
 地獄の壁

 敵で出てくるのにやたらに人気があった地獄の壁。序盤でありながらこんな強敵が出てくるのかよという絶望をプレイヤーに与えてくる連中だが、その難易度ゆえにやり応えがあって人気が高いんだとか。フロントミッションではあまりに人気なんで、その後地獄の壁に関するものを独自に作ったとかなんだとか。それほど人気があったらしいのがこの地獄の壁である。
 まあ地獄の壁という響きを出したかっただけなんで、後はもうどうでもいい話なんでここらではしょるとして。


 ・パリオリンピックで話題だったのが森選手のスポーツクライミングの様子だった。

 届かないというまさかの事態だったが、しかしこれ他の様子をいろいろ見ていると金メダルをかっさらわれるから敢えて届かない位置にしたのではないかという疑惑があるし、そう思っても強ち全くの検討外れではないように見えてくる。金メダルをアジア人に、イエローモンキーに渡してたまるかという意思があるとみるのは勘ぐりすぎかもしれないが、それにしても今回の五輪は露骨な差別感情時見たものが各所に透けて見えてきて不快な思いをした人が多かったようである。それにフランスはタリバン関連で差別で壮大にやらかしてきた歴史があるわけで、疑念はそう易々と払拭できないものがある。
 この競技としても、今後勝たせたい人の身長に合わせた作為がなされる可能性、それもいくらでもそれをできる可能性があり、競技としての不完全さをよりによって五輪の舞台で明らかにしてしまった感がある。


 ・そういう不快さはあるにはあったのだが、個人的には森選手の姿勢に非常に強い感銘を受けた。
 こうなってはもう絶対に金メダルを獲得できないかもしれない。そういういやな予感を感じさせる展開ではあったが、これは差別だ!と糾弾するでもなく、悔しいと泣いて地団太を踏むでもない。淡々と事実を受け入れ、かといって諦めるでもなく、次の課題に取り組んでいく様子というのは見ていて清々しさを通り越した空恐ろしさすら感じられるほどだった。
 そういえばイチローもそんなことを言っていた。ホームランを打ってガッツポーズもいいが、淡々とこなす様子っていうのは相手からすると非常に不気味で怖いもんだと。むしろガッツポーズでもしてくれて内心が分かる方が余程気が楽だ。だからそういういやなプレイヤーを目指してますとかなんだとか。
 人間なんだかんだ言ったって生きている内は各々の人生を生きているだけのプレイヤーでしかない。好調もあれば不遇もある。不運を見てやったあいつは脱落だとほくそ笑む例もあれば、ああ、なんとも気の毒にのうと人を慮ることだってできる。結局人はプレイヤーとしてその時々で「何か」を選び取っていかざるを得ないのだ。そうして拾い集めたものの多くが「ざまあ♪」かもしれないし「気の毒に」かもしれないが、その「何か」の多さであり偏りが人生をほぼ決定づけている。


 あれは紛れもなく地獄の壁だったろう。
 五輪競技として、差別として、あるいは単なる不幸な不具合として、己の人生そのものの前に立ちはだかるもはやどうしようもない壁だったに違いない。
 しかしそこで嘆くでもなく、怒るでもなく、淡々と事実を受け入れる。他人を見てひがむでもなく、ほくそ笑むでもなく。他人の幸運を見て歯ぎしりするでもなく、他人の不幸を見て胸を撫でおろすでもなく。絶望して立ちすくむでもない。ただ淡々と次の種目に集中していた。
 ひとりの人間としてもだが、人生というものを生きる一プレイヤーとしてもとんでもねえなと思ったし、非常に強い感銘を受けた。強烈なインパクトがあった。






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