しかしこの問題の本質は何なのかと考えると、結局公害問題なんかにも見受けられる何かなんじゃないだろうか。
公害ってんだから官なり国営企業なり国策なりあるいは企業の経営なんかが関わっているわけで大々的に推し進められるものなんだろうが、しかしその反面公害問題が起きた時にじゃあどのようなことが起きたのかというのを考えてみるのもそこそこ大切なことなのかもと思う。
・公害問題、イタイイタイ病とか水俣病なんかが流行ったのは高度経済成長期。
経済成長に合わせて、成長が進めば進むほど暗部も広がったと考えて良いだろう。
経済成長に合わせて、成長が進めば進むほど暗部も広がったと考えて良いだろう。
しかしそういうものを改めて考えて見ると悲惨な歴史である。しかもそれが現在進行形で進んでいた当時なんてものは想像もつかないが、しかし確かにそういう時はあったに違いない。圧倒的に力を持った国や企業、圧倒的なそれら権力を前にして、いまだ証拠もなく明らかに何かがおかしいのだけれど、それを直接言ったところで何かが起こるとも限らない。それどころか関係性に亀裂を入れる元ともなりかねず、けっこく我慢していた方が得だ、なんてことになると味方同士で仲違いなんてのもあったんじゃないだろうか。
・というようなものがあったんだろうなと思いつつ、足尾銅山鉱毒事件を考えてみた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E5%B0%BE%E9%89%B1%E6%AF%92%E4%BA%8B%E4%BB%B6
足尾鉱毒事件とか。普通は華々しい日本の経済成長をもたらした功労者。そして公害一般に言えることは、別に毒を流すとか知らなかったしそもそもそんな前例がないんだから流して何が悪い。被害を食らったやつが悪いという空気感、いやそれ以上に日本経済の進展、その功労者の足を引っ張るような真似であり、誹謗中傷なんかはかなりのものがあったのではないかと思われる。
この背景には日清・日露戦争があり戦争のためには鉱山開発が必要だったという背景もある。輝かしい戦史のために犠牲が必要とされた、あるいは当然のごとく許容されたとも言えるだろう。
足尾鉱毒事件とか。普通は華々しい日本の経済成長をもたらした功労者。そして公害一般に言えることは、別に毒を流すとか知らなかったしそもそもそんな前例がないんだから流して何が悪い。被害を食らったやつが悪いという空気感、いやそれ以上に日本経済の進展、その功労者の足を引っ張るような真似であり、誹謗中傷なんかはかなりのものがあったのではないかと思われる。
この背景には日清・日露戦争があり戦争のためには鉱山開発が必要だったという背景もある。輝かしい戦史のために犠牲が必要とされた、あるいは当然のごとく許容されたとも言えるだろう。
この時住民側が武器としたのは統計学(のハシリ?みたいなもの)だったようで、日本の一般的な出生数と比べてこの鉱山の付近は明らかに死産が多いということを突き付けている。日清日露戦争という外圧を前にして富国強兵は必須、となると少数の意見など聞いていられるか!というような世論があったかどうかはわからないが、恐らくなかったとは言えないだろう。北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの件について横田さん夫妻が警察に行ったところが「あんたらみたいなことをいうヤツがいるから国際関係が良くならないんだ!」と突っ返された話は多分有名だろうが、そういう風潮というものは日本には根強くあるように思われる。大なる目的や方向性がある時には少数の意見など聞いてはいられないんだと。
まして強大なる清国やロシアを前にして戦争しているとか戦争が勃発しかねないような当時に、民のいうことをよく聞くなんてことがあったともなかなか考えにくい。そうした時に、統計を用いて日本一般と比べてこの地域は明らかに死者数が多いとか死産が多い、あるいは住民が顕著に眼病が多かったなんてのを示すという意味では、住民側の方ではいかに統計が強かったかを示す例でもあり、田中正造という旗印はあったかもしれないが、逆にそれ以上に頼るものもなかったということを示す好例でもあるかもしれない。
・公害の陽と陰というものがある……すなわち栄光を受ける者と被害を受ける者は確かにいる。日清日露戦争の勝者と言えば華々しいが、その裏面としての足尾鉱毒事件があったということ。
栄光を受ける者はみんなによって国に貢献していると褒め称えられ称賛され、逆に被害を受ける者はみんな我慢してるんだから我慢しろ、お前みたいなやつがそういうことを言うから盛り下がるんだと言われたこともあっただろう。そもそもそんな前例はないんだとつっぱねられたり、そもそもそういうものを受領する部署がないなてこともあっただろう。
つまり成功者はより成功でき、失敗した人間はより我慢をすることになる。そういう風潮というものはあった。
つまり成功者はより成功でき、失敗した人間はより我慢をすることになる。そういう風潮というものはあった。
しかし公害問題はそうした中、じゃあ弱者である住民側がどのように戦ってきたかというある意味貴重な歴史だともいえるだろう。公害なんて「そもそもそんな前例はない」という中で、戦意高揚の中で空気を読まず公害事件があるんですなんて盛り下がることを言っては意気を挫くような真似をする輩が現れた。そして実際にこういうことが起きているんですとデータを示し、統計を示し、被害の全容を明らかにして150年くらいかけて元々はない道を開拓してきた歴史があると。彼らがどのような戦いをし、存在を認めなかった側にいかにして認めさせてきたか、その手法はどのようなものがあったのか。
そういうことを調べてみるってのもおもしろいかもしれんと思ったという話。
いや実は薬品の入っていたろうビンが大量に出てきていて、そういうものもゴミの山だと片付けていたんだけど、時々指先に痛みが走る時があり、これは少し怖いぞと。単純な怪我とかならともかく、何が入っていたか全くわからないわけだから、化学薬品による何かしらの影響というものもなくはないなと。そういうものを(というかそういうものだからこそ処分に困ってというのも当然あるだろう)不法投棄するっていうのが信じられんというか、捨てたもん勝ちでバレなきゃラッキーで処分費用ゼロで済むなんてのが果たしてあっていいのか?と思ったりもしているところ。
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