先日ちょっといろいろあって、昔から不法投棄がされている山中に入ってその不法投棄の山を片付けるという作業をしていた。まあバケツ三杯も出せばかなり片付くだろうと思いきや、ここ掘れワンワン状態となり、恐らく1トンを超えるか超えないかくらいの量のゴミが出てきており、結構驚きながらやっていたもんだった。まあまとまってやるのもなんだから、空き時間に数年がかりくらいでちびちびやろうと考えている。
・この不法投棄があったのが40年程度前のことらしい。当時はまあ大らかな時代だったのもあってあちこちの山へ捨てることが流行ったんだとか。そうしていると時々山を崩して広場でも作ろうなんてなった時にどっさりと不法投棄の山が見つかって問題になる事もあったのだとか。そういう中でこの不法投棄も生まれたということらしい。
・その持ってきた人というのが近所では有名な知的障害のある人だった。で、当初はまあ30キロくらいだろうと思っていたからしょうがないよなあと思ってやっていたが、しかし数トンとなるとけっこう話が違ってくる。明らかに量が多すぎる。
恐らくこういう構想があったのではと思われる。
①多分発覚したとして、あの知的障害のあるおバカな〇〇さんが勝手にやったものだから、怒りはわかるけどこらえてくださいという話ができる。もって帰れと言われても、いやあの人が勝手にやったから、あの人知的障害だからでうまくごまかせるし、責任やゴミやらを全て知的障害に紛らせてごまかそうという意図を感じる。知的障害を巧みに利用してゴミ捨てや責任問題、ご近所トラブル等をうまく回避することを考え出した人間がどうもいるらしいということ。
②しかしそれはあくまで30キロ程度の量だった場合の話。
数トン単位で不法投棄があった、それもその「〇〇さん」がやったということになると、車で容易に運べる場所でもないし、つまりは背負って何十周何百周と、ものすごい時間手間暇をかけて運んだということになる。場所はたくさんあろうものを敢えてその一か所にというのが不自然すぎる。つまりは「誰か」の指示に従ってやったと考えるのが妥当。知的障害のその人が従順に従うことと、自分自身の命令に従わせることを考えて、そこまで重いものをそうして徹底的に運ばせたということ。メンドクサイから自分ではやりたくない仕事を、「バカ」な知的障害をうまく使って重く汚い仕事を完全に他人になすりつけて、自分はラクしていた。そういうヤツがどうもいるらしいということ。これだけの量を運ぶとなるとさぞ重かったろうにと気の毒とさえ思われてくる。
③こうしてご近所トラブルは知的障害によってクリア、ゴミ問題もあいつのせいだでクリア、そしてそいつに命令してメンドクサイ仕事を全て押し付けたやつがいると。もし発覚してもそいつのせいになるし、そいつは知的障害なんで仕方がないとなる……というところまで考えた末にこの計画を遂行したやつがいる。
そしてそれが40年も経って大事だったということがわかり、問題は氷山の一角に過ぎなかった、ものすごく大規模にやっていたことがわかってそれと同時に「その人」が一体どういう構想でこれをやったのかということまで薄々わかって来て、しかもきちんと自分に飛び火しないような手で打っている。慎重かつ臆病、細心なんだけど、それにしてはやけに魂胆ミエミエ。大胆不敵に見えて実は相手がバカだからどうせわかりゃしないだろうと高を括っていることまで透けて見えてくるかのようである。
・確かに賢い、様々なことまで思いを巡らせて実際にクリアしている目端の鋭さというようなものをやはり感じざるを得ない。
しかし一言で言って性根の腐ったクズ野郎という他思いつくものがないし、その場しのぎで自分の財布からお金出してゴミを捨てるというのをケチるあまりに他所へ捨てるとか他所の迷惑は知ったこっちゃないとか、知的障害を巧みに利用して「あいつバカだから」でクリアしようという魂胆、そしてそれを命令するのはラクであってもそれをやる方が一体どのくらい大変だったろうかということを考えると、そいつ(顔も名前も知らないが)は頭はいいかもしれないが頭がいいだけの人の心をもたないクズ、それこそ人間のクズだなと心底思ったという。
・まあそういうわけで「その人」は恐らくもうとっくに死んだ人だと思う。下手したら会ったことも話したこともないかもしれない。ただその名前と顔とは恐らく写真に残っているだろうから、いずれ徹底的に調べておこうと思った。
・まあ40年も前だから時効もクソもあるかではあるのだが、ただ先日のスーパーフリーの動画を見ても思う。本人は死んだし、責任は逃れたまま死んだに違いない、まあ見事に逃げ切ったというわけだ。
しかし「あいつがやったのか」という目線は確実に残る、こうしてほじくり返して発覚してそれを知ってしまう人間がこうして出てくる。
そしてその目線は間違いなく今生きている子孫に向けられる。あいつらはあいつの子孫なのか、関係者かと思う人間が出てくる。果たして「その人」はどこまでそれを考えていたのだろうかと思う。
確かに「その人」は頭が良かったに違いないが、頭の良さなんて所詮はその程度のものなんだなということを痛感する。結局頭が良かろうと何をしていようと、この結果からすべてが覆されていく。仮にそれが頭の良さなんだとしたら、その頭の良さこそが滅ぶだけの理由になり得るとすら思う。
実にしょうもないこの一事、ほんの出来心がたまたまものすごくうまくいったということが衰退や凋落に繋がることもあるんだなあという話。
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