風呂場の照明を掃除すると、なぜか虫が証明の中に入っている。夏場は特に多いのだが、その中には数センチもあるような蛾が入っていたりすることもあるから驚く。
当然防水措置がなされているはずのものなので、水が入らないようパッキンにしろかなり厳重なつくりになっているはず、まあパッキンに沿ってネジ状に進めば一応中に入れないこともないのだろう……とはいえ、せいぜいあるとしても1ミリ2ミリ程度のそうした隙間、というよりトンネルをくぐってこじ開けるようにして羽根を広げれば3センチ5センチあるような蛾が照明の中に入る、あるいは5センチあるようなクモが中に入るということになるのだろうが、中には当然何もない。水もなければ甘い蜜もない。ただ明るいだけ。そうして死ぬまでの時間をその飢餓室で過ごすことになる。がんばってがんばってがんばった先にあるのがそれというのは、少々気の毒ではある。入ったはいいが何もない。入ったはいいけど、出方が分からない。考えて見れば笑い話のような話である。一体こいつは何やってんだろうなあというような話である。後はその干からびた死骸を捨てるだけである。
・2ミリの隙間を3センチある蛾がパッキンに沿って延々と進む……
しかし考えて見れば非常に不気味な話である。自分の体長よりも遥かに小さい穴を進んでいくというのだから現実に照らし合わせればほぼ不可能。不可能を可能にするような奇蹟がこうも連日起こせるものだとは。これはもう、パッキン壊れてんじゃないか?と思うほどだが、チェックしてみても壊れてはいない。
してみると、やつらは自分の不屈の努力と灯りまで絶対に到達してやるんだというだけの凄まじい意志しかないのだが、それによって中に到達しているということになる。
してみると、この蛾というやつも恐るべき能力をもっているということができる。
「飛んで火にいる夏の虫」、要するにバカの典型、灯りを見たらまっすぐに突っ込むだけのイノシシ武者でありそれが実際の火であって羽根が焼けるようになって慌てて飛び回るような愚か者。
ところがその性質のために、あの狭いパッキンを抜けて連日こうも照明内に入れる。そして傍から見ているとあーあまた入ってるよ、といって中をキレイに掃除するだけ。めんどくさいなあ、手間とらせやがってというだけ。そうした中にこうした奇蹟を次々とねじ込むだけの意志が潜んでいようとは。
・人は賢い。
この照明の中に入れと言われたって、中に入って何かいいことあるんすか?となる。だから入らない。報酬はないし野垂れ死ぬだけ。何もいいことがないから入らない。まあそもそも入れない。
虫は後先考えない。バカだから、しかしだからこそこうして中に入るような奇蹟を連日引き起こすことができる。
「賢さと愚かさ」こうして並べると明らかに賢い方がいいと思える。誰だって賢い方がいいというに決まっている。
しかし愚かさというのは果たして言われるほどそんなに悪いものなんだろうか……愚かにも中に入ってもはや為す術もなく干からびて死んだ馬鹿者どもの死骸を見ていると、その愚かさと共にある……オレはやることは達成し終えたという一抹の満足すら感じることがある。その先に何があるかを考えず死んでいった愚かな勇者ども。抜けてはみたもののその先は何もなかったんで潔く死にますわーとでも言いたいかのような態度。
賢さのあまりに一生何もしないで朽ち果て死んでいくだけの人間と、愚かさのあまりに突き進んで照明の中で干からびる虫、果たしてここに優劣などつけられるものなんだろうか。
そしてこうして垂れ流される虫の死骸からですら人は学び取ることができる……掃除がめんどくさいんでもうやめてもらいたいんだけど(笑)、しかし突き抜けるための生き方というものは確かにある。そういう何かをこいつらは示そうとしている。
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