カツラ職人の動画








 あまり評判のよろしくない(というかむしろ悪い)Tiktokの動画なので気を付けられる方は注意されたし。あまり気にしてないのでこうして貼っているけど。

 ・まあTiktokに上がっている動画なんて99%以上は全く評価してないし、正直おもしろくないと思っている。
 しかしこの動画に関しては何とも言えない感動があり、見終わった時に不思議な充実感があった。
 別に病気になったわけでもないし、そこからがんばって立ち直ったとかそういう趣旨の話でもない。
 ただ見た目に問題があり、それに対してこのかつら職人がかつらを作って貼り付けていると言うだけの話である。


 ・かつらなんて日本ではある意味お笑いの必須道具というか、おっさんがつけてたかつらがずれ落ちて一同大爆笑、あるいは笑いをこらえるのに必死なんていうお決まりの様式がある。間違いなくウケる種類の話だろう。
 多分それくらいのものとしか正直認識していなかった。


 ところがこの動画は違う。
 このかつらをつけたことで本人にも何とも言えない満足感のある表情が浮かび、いやそれ以上にその周囲の人たちにとてつもない感動をもたらしている。感動の涙であり、他人の幸せを喜ぶ涙であり、同時に長い間の苦悩が偲ばれる……そういった印象がある。みているだけで何とも言えない……深い充実感を感じることの出来る素晴らしい動画だと思った。


 ・しかしこれ一体何が違うのだろう。
 問題があって、それを根本的に解決したというわけではないのだ。
 むしろそういう意味では一時的な対処に過ぎない、一時的な対処でしかないとすらいえる。
 確かに一時的な対処であるかもしれない、一時的、刹那的な喜びに過ぎないかもしれない。一時的な安息であって、根本的な問題解決から目を背けているだけかもしれない。次の瞬間にはまた解決してないのだという事実の前に叩き落されるだけかもしれない。
 しかし、その一時的な対処というのが時によって人の心のものすごく深い場所での安らぎに繋がることがある……そしてそのことを一時的な対処だとバカにすることはなかなかできないのではないか。


 確かに人は高みを目指せる。キレイな人がもっとキレイに、より美しく、さらに磨きをかけて……それを否定するわけではないし、むしろそういうことから進む技術もあるのだろうとは思う。そういう加点主義は確かにある。
 しかしこうした、いろいろな事情から髪の毛がない人というのがおり、周りからいじられ本人も気にするみたいなことがある。年月と共にその苦悩もより深まるだろう。
 そうした長年の苦悩を一時的にでも取っ払うことができる、そしてそりゃあ一時的で感動の涙だって刹那的なものでしかないかもしれない、だとしても人の長年の苦悩を一気に払拭できる技術というものは確かにあるのだと思う。それによって人の心に希望が植え付けられ、じゃあもうちょっとだけがんばろうと思うことができるかもしれない。


 そういうわけで、この技術が一時的でその場しのぎの詐欺的なもの、表面だけ取り繕って根本的解決はしないで満足感だけ与えるというようなものだとはどうしても思えなかった。
 むしろ、全ての技術はこういうものに対する憧れを元々持っていたんじゃないだろうか。一時的から永続的へ、もっとより良い技術へと進歩していき、こういう人も自己卑下することもなく普通に生活できてとっさの場合でも何不自由なく生きていける。一時的というのは対処でも中途半端でもなく、より良い技術への過渡期を意味していたのではなかったろうか。その努力の末に確固とした技術となったものも中にはきっとあるだろう。何ら恥ずべきことはないし、むしろ正統の中の正統。加点主義につい埋もれるものだが人の本来持つ減点主義的性質に堂々と立ち向かう素晴らしい技術だろうと思った。人の心を心の底から救う技術というのはこういう技術なんじゃないだろうか。


 成功や失敗。経済がどう個人としてどう。
 そりゃあ様々なものはあるにせよ、これにある不思議な感動、そして流された涙。人の幸せを心から喜べる人の思いというもの。
 これを忘れちゃならんような気がしたという話。







この記事へのコメント

にほんブログ村 ゲームブログ ゲーム評論・レビューへ
にほんブログ村