神話





 この世において大切なものは何か?
 それは恐らく本来金ではない。
 人と人との関係性、それさえあれば多少の金くらいはなんとかなるものだ…という錯覚は大なり小なりあった気がする。

 
 ・まず第一の愚かとして、金は関係性より重いと見切るというその立ち回りを非常に賢いと思った、ということが最も愚かだったのはいうまでもない。なぜそれをできるかといえば、人は基本的に愚かな生き物であり、時間が経てば起きたことすら忘れてしまうと。バカだから。となると騙してしのいで時間稼ぎをすれば自ずと許される。それを見切っているオレは賢いという前提があり、それを前提とした立ち居振る舞いがあった、しかし実際にはそのやり口や手口を周囲に知らしめた、いやそれ以上にそうした諸々を含めた内心を全て明らかにした。とてつもない悪意と、そしてすべてを舐め腐った態度がすべて明らかになり築いてきた信用を全て失った、しかし数値的に把握できない信用が「減った」ということがわからず、金の多寡のみを数えると。
 これが第一の愚か。


・第二の愚か、それはその人間をそうと気づかず助けていたということにある。人というものを見切れていない愚かさがある。

 しかしこまった人間を助けようなんていうのは果たしてこの世界にどれほどだけいるのか?事実困っていた人間をオレ以外は誰一人として助けなかった。それはその後にオレがこまった時でさえ誰一人として助けることはなかった。このことは今思うとかなり異様なことだ。しかしこの異様さは恐らく本質のあり様と、その一端を示している。


 ・第三の愚か。それはひどい、可哀そうだ、よし、なんとかしよう……!といっていたものがいざとなると助けることを躊躇する。いやそれならば別によいが、例えば色仕掛けにあって一瞬で大枚をはたいてしまったりするのだ。約束をしていたものを踏みにじり、渋り、その結果信用を失い、上げられたはずの株を大いに下げた。それが一体何を意味するのかをわかってない。
 「人が困った時には助ける」といいながらこれほど難しいことはない。いうことは簡単だが実際にやることは難しい。むしろそれによって株を下げたりする。これが第三の愚か。

 ・第四の愚か。そうした状況を見て「人にだけは迷惑をかけちゃいけない」と説教する対象がよりによってオレであって、0点を叩き出している対象に対してやればいいものをそれをするのは恐ろしい。90点のヤツを見つけて「あと10点足りないじゃないか!」と叱るのは容易いものの、0点を叩き出してテスト自体を放棄するような不良であり輩に対して面と向かって説教するのはどうも怖いらしい。ということで正義感だけ振りかざしたものの方向性を180度間違えている。言わなくてもいいことを言って何一つ分かってないどころか全くやる気もないことを明らかにした愚か。
 これが第四の愚か。



 これらを見て、そこで疑う。
 オレがいたはずの世界、そうだとおもっていた世界。生きてきて見聞きしてきたはずの世界というのは、恐らく180度真逆だったのでは?

 否、むしろだからこそこの世界は美しいという「神話」を恐らくは誰もが必要としていたということでもある。それくらいこの世界は直視には耐え難いものであるということ、これを恐らくは誰もが分かっていた、だからこそ必要になるのは「神話」だった。「神話」は必要とされていたということ。
 そしてこれらは決して一概に悪いことではない……まやかしの、偽物の価値観を取り込んだままそうと気付くこともなく生きていくことがいかに多いか、そしてその真実にいかに速い時点で気付いたかでもある。一生ニセモノばかりに囲まれてそれをそうと気付くことすらなく畳の上で死ぬのが幸福だと信じて生きていければ問題ない……この世界はいいものだという「神話」に包まれて何一つ疑うことなく死ぬ、一生涯その箱を開けることはない。


 ・この社会の前提にはいざというときの刀をいつでも出せるという一種の性善説があり、それを周りは誰もが出してくれるというのが前提だった。人はそういうものだと。この世界はそういうものだと。
 しかし99%の人間にとっては実はそんなことはない、いざという時、コロシアムの中の殺し合いを見て溜飲を下げることはあっても、コロシアムという渦中に入ってまで助けようとするだけの人間は一人としていなかったことが明らかになってしまった。いざという時のためにあるという禁断の箱を開けてみたら、なんてことはない、「神話」の入っていたはずの箱は空箱だった。刀なんてありはしなかった。
 コロシアムに実際に殺し合いに入ってでもなんとかしようとするような狂人はオレ以外いなかった。狂っていたのはオレだけだった。


 ・では結局何が問題の根なのか。
 経済か、景気か、金がないのか、金を稼ぐための手段がないのか。アイデアか、抜本的対策か。
 オレは思う。
 本当の病巣は人だと。人が腐っているから社会が腐る。本当に立て直すためならまず考えるべきは人の刷新。蜜柑がたくさんそれらしく並んでいるがなんのことはない、一皮剥けばみんな内心の奥底、底の底まで腐り果てている。
 人が増えることは決していいことではない。同様に、人が減ることも別に悪いことを意味しない。プラスが増えないことは憂うべきことだろう、しかしマイナスが減ることに何を憂うことがあるのか。
 そしてこれらのことに気づくことなく生きていたかもしれないお気楽だった自分を思えば、確かに10年を失ったかもしれない、しかし100年生きてその実何一つ手にすることもない空虚を生きるよりはるかに幸福なのではないか?オレは全てを失い、しかし全てを手にした。これは全てを手に入れて、その実何ひとつとして手にしてない人間と比べてどうなのか。恐らく共通するのはどちらも同じ程度に幸福だということだろう。
 つまり溺れる者は藁をもつかむ……どう転んでも人という生き物は幸せになれる生き物だということなんだろう。


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