ふとなんか昔のことを思い出した。
といってもそんないいものは全くなく、全く苦々しいことばかりだったなあということなんだが。
とりあえず一曲
どっかのラジオで20年くらい前に流れていた気がする。
音質悪いが現状これしか上がってないようだから仕方ない。
・流れはあるし、本当に悪い流れってのも確かにある。ドミノが思わぬ方向に倒れて、あ、こりゃまずい、なんとかしようと思う、思うもののなんとかしようと思うことが新たなマイナスへ、マイナスがマイナスを生み、そのマイナスがさらなるマイナスへと繋がる。
思えばそういう悪戦苦闘ってのを常々意識してたし、10代の終わり頃はそれを漠然と意識してたし、だからこそなんとかして流れを食い止めなければという危機感はあった。
そういうものをズルズルズルズルと引きずってここまできてしまったなあというのは思う。それを当時感じてはいたが、ただひたすらどうしようもなかった。言葉にならなかったし、何とも言えない焦りはあったが、その焦りをうまく処理することすらできなかった。人生こういうものなのかなあといつしか慣れていっているが、本質はあまり変わってない。「あなたにとって人生ってなんですか」と問われれば、こう答えるだろう。
人生とは、不意に倒してしまったドミノがひたすら思わぬ方向にひたすら倒れ続ける、それを食い止めようとすることの連続だと。止めようとすればするほど思わぬ場所を倒してしまう、その苦々しさ、無力感、忌々しさを延々抱え込み続けるのが人生だと。
・じゃあ一方的な負け調子だったのかといえば、まあ実際そういう感じの人生だった、それが最近ようやくその流れを止めるためのこれだというものを掴んだような気がするし、掴みつつあるという実感もある。ただそれに20年費やしたというだけの話でしかない。
運はあるし、運不運はある。それはもうどうしようもない。
だがじゃあそれが全てかと言われればそんなことはないしそうあるべきではない。蝶が飛んだだの風が吹いたから竜巻が起こったみたいなのはあるし、確かにそれは科学的に認められるかもしれないが、しかしそれはそれだろう。大体人の人生全てがそんな蝶の動きによっていちいち左右されていたらたまったものではない。
ああ、あの時ああでなければ、こうであったならば……なんてことは山程ある。こうだったとそれらしき「原因」を見つけ、恨み言を言っていればそれらしく人生を終えることはいつでも誰にでもできる、そしてそれを言えるということは人にとっては多分幸福なことなのだ。恐らく人が唯一簡単にお手軽に幸せになれる道でもある……ああ、あの時こうでなければオレは幸せだったに違いない、ああ、あの時宝くじが当たっていればなあ、大金があれば、力があればと。一体どこがゴールかなんてことはわからないが、ただ人はそのゴールを決めて即座に人生を終わらせる力だけは常に持っている、人生に対する決定権があるのだ……そういえばフランクルって人が「夜と霧」の中で言っていた。最後のタバコを吸う人はそんなに長く持たなかったとか。最後のお楽しみの一本をそこで使ってしまうということは、きっとそこでもう人生終わっていいやと決めることなんだろう。決めるということはそういうことだし、何より人には最後の最後、その「決める」という選択肢が残されている、決めるってのはそれくらい強力なものなんだってことでもある。そういう強力なものが常に我々の手中にはおさめられている。これはすごいことだと思う。
ああ、あの時ああでなければ、こうであったならば……なんてことは山程ある。こうだったとそれらしき「原因」を見つけ、恨み言を言っていればそれらしく人生を終えることはいつでも誰にでもできる、そしてそれを言えるということは人にとっては多分幸福なことなのだ。恐らく人が唯一簡単にお手軽に幸せになれる道でもある……ああ、あの時こうでなければオレは幸せだったに違いない、ああ、あの時宝くじが当たっていればなあ、大金があれば、力があればと。一体どこがゴールかなんてことはわからないが、ただ人はそのゴールを決めて即座に人生を終わらせる力だけは常に持っている、人生に対する決定権があるのだ……そういえばフランクルって人が「夜と霧」の中で言っていた。最後のタバコを吸う人はそんなに長く持たなかったとか。最後のお楽しみの一本をそこで使ってしまうということは、きっとそこでもう人生終わっていいやと決めることなんだろう。決めるということはそういうことだし、何より人には最後の最後、その「決める」という選択肢が残されている、決めるってのはそれくらい強力なものなんだってことでもある。そういう強力なものが常に我々の手中にはおさめられている。これはすごいことだと思う。
・というわけでじゃあその倒れ続けるドミノを止めるための方法だが、最近わかり始めたのはそれを掴みつつあるということ、そしてそれもそれが複数個あるっていうことで。この不毛で延々負けるだけの人生でも、20年も負けていれば起死回生の一手なんてのをいくつか掴むことがあるし、人生そういうことを、そういうチャンスを1個も掴むことのない人生なんて巷にはうじゃうじゃあるのだろう。あるいはとっくに掴んでいながらそのことを知ることすらなく、最期を迎えてしまう人生も決して少なくはないのだろう。それを思えばオレはなんて恵まれているんだろうと思ってしまう。これが好きで、得意で、高い勝算もあって、確信もある……そういうものを1個でも掴めたら人生幸せだ。
そういうわけで、見てやがれこんちくしょう、たった一手で盤上のすべての状況をひっくり返すような手をオレが打ってやるぜ、と思いながら虎視眈々と日々いろいろ仕込んでいる今日この頃。
この記事へのコメント
ココ
いつか、晴れやかな本番がくるのか
探す事に意味があるのか。
まだまだ答えは見つかりそうにないです。
きんた
ただ、これだ!と思って一意専心でやってはいますけどね。中途半端にやって挫折して、後であーやっときゃ良かったなあと思いたくないってのも大きいですね。がむしゃらに無我夢中でやれるとことまで……ですね。
>ココさん
>
>人生ずっと、準備中な感じです。
>いつか、晴れやかな本番がくるのか
>探す事に意味があるのか。
>まだまだ答えは見つかりそうにないです。