凋落






 真夜中にふと腹が減っていろいろ調理して満たされてぽーっとしていたらふと思った。


 しかしなぜ日本はこんなに凋落したのだろうか?
 確定できるようなことはそこまでないが、間違いなく大きく凋落に関わっているなと思うのは差別問題だと思う。かつて日本は大きく差別もんだが取り上げられたことがあって、悲惨な歴史も数多くあったのだが、悲惨な歴史だった、もうこんな歴史は繰り返してはならないと差別問題を断固やめることを選んだ。
 その選ぶというのが問題で、ようするに完全に忘れましょうと。変に教育したりして「えーどこが被差別地域、被差別部落なんですか」となると結局再燃しかねない。だから完全に忘れることをみんなで選んだ。しかしその結果として、特に多分我々の年代からだろうが「差別ダメ絶対」という標語を掲げはするものの、一体差別の何がどう悲惨でどういけないのかを全く知らない、知らないくせにとりあえず正義だからと掲げはする世代が生まれたという経緯があるように思われる。
 で、この世代の問題は何かって、何に陥ったかって差別再生産世代だったということ。差別はダメだと掲げはするものの、自らの体験として言えるものを何一つ持たない世代だった。そういう世代にとって概念としてのいけない差別と今現にやってることが差別であるということが「=」として結びつかない。それが何をもたらしたかって差別を撲滅しようという正義感や心意気や優しさ以上に、差別のうまみを選んだ。人を差別できることはこんなに美味いことなんだというのを知った世代だったように思われるのだ。これが具体的にどういう形になるかって、まあ学歴差別だった。
 身体的な差異があるのは仕方ない。室伏みたいなことは誰にもできないし、イチローや大谷のマネを知ろと言われてもムリである。それに伴う内面の違いも大きいだろう。しかし同じように人には能力であり脳力の差があるということを認めなかった。いろいろな事情はあれど、学歴が上に行けるヤツはそれなりに頑張ったんだということを認めなかった代わりに、「東大は意外とバカで使えない」とか「院卒は頭いいかもしれないけど30手前になって仕事もしたことがない連中」という異様なものを獲得してしまった。こうした人材が日本から駆逐されたのと日本製品、特に家電製品が日本の市場から駆逐された時期はほぼ同時期だったように思う。そういう高度な教育を受けた人材にしかできない仕事があったものを「あいつらバカだ」で駆逐し助けもしなかった結果として、散々蔑んできた中国韓国製品しか市場にないという結果に至ることとなった。


 ・話は戻るが、じゃあなぜ差別問題はなくならないかってものすごく美味しいからだというしかない。差別問題はダメだ、傷つく人が出るんだということを本当は言えたし誰もが主張する権利を持っていたのだが、誰もそれを選ばなかった。代わりにあいつはバカだと見下し、ああ東大なんて行っても受験はできてもこんなに馬鹿な連中なんだねとプライドを満たす方向性にそれを活かすことを選んだ。結局差別できるということはものすごく美味いっていうこと、これに尽きる。
 まあ個人的に思うのは英語問題、この凋落の一途の日本から脱出することもできず、話せるのは日本語英語でコンプレックスの塊。それで海外勢と渡り合うこともできず、円安の日本でエネルギー高騰の煽りをくらっていても脱出の選択肢すらない時点で本当に詰んでるのだが、そういう自らの愚かしさとすべき努力の方向性を棚に上げて他者を蔑むことはきちんとするというのは実に卑しいことだし、極めて妥当な帰結だと思うし、そしてそういう世代が駆逐された後に新しい時代がくるということを期待する時期にもう来ているなと思う。


 ・まあ結局は人である以上問題は人ということに行き着く。
 他者への優しさを持てるのか、どんなに愚かしく思えようとも、蔑んだらさぞうまみがあろうと思えようとも拒絶できるのか、むごたらしいどこかの一線でそこに少しでもああ可哀想だと思えるのかどうなのか、自分のすべきことをきちんとできているのか、他者のそれに対してきちんと敬意を払えるのか、他者を指さして嗤うその同じことが自らに起こる可能性をどこまで思えるのか。そういうわけでいろいろあるにはあるんだが、失われた30年がどこに行きつくかって差別教育を全くしないで完全にリセットすることを選んだ時点で、こういう未来になることはある程度決まっていたんじゃないかなあと思った真夜中の話。







この記事へのコメント

にほんブログ村 ゲームブログ ゲーム評論・レビューへ
にほんブログ村