向上心について2






 例えば一生懸命やってるヤツがいる。そいつを見習ってもっとがんばりましょう、なんて話にでもなったとすれば、したくない練習や努力をがつがつとさせられる羽目になりかねない。となると、どんな手を使ってでもそいつを追い落とすとか追い出すとか、活躍できないように仕向けて行くってのは意外と合理的な話なんだなと。
 いるとキツイわけだし、何よりも楽しくない。そんなものを求めていないという時にソイツを追い出すことによって願った通りの理想的な環境が手に入るということになる。これは例えばスラムダンクの中で、バスケ部をやっていたのは赤木と小暮の二人だったのだが、あれとは全く逆の形ということになる。毎日楽しくやりたいし、全国とかいらないし、そもそも目指せるとでも思ってんのか?ならここじゃなくてそもそも海南とか選べよという話で、そんな弱小校で全国とか迷惑なんだよと。「お前とバスケするの息苦しいよ」ということで二人を除いてみんな辞めてしまったという。まあこの場合は追い出すではなく追い出されたの方なんだが、結果的には全国派と毎日楽しくやりたい派で棲み分けが成立したのだろう。


 ・そういう向上心の塊と、毎日楽しくやりたい派がいた時に、じゃあ後者は全く向上心がなかったと言えばそうは言えないのではと思うのだ。いかにも向上心がないかのような話ではあるのだが、実際には思い描く理想の環境があり、そしてそれに向けて赤木と小暮を見切ったと考えると、これはこれで立派な向上心なのではないか。自らの理想とする環境を互いに分かれた先で作っていったということであり、それは「向下心だ」とはとても呼べないところがある。つまりそういう意味では誰しもがそれなりの向上心を持っていると考えられるだろう。ただ足並みがそろわないだけの話であって。


 つまりここには2つの世界観がある。
 ①当然やるなら全国だ→キツイ練習に毎日耐えて、毎日は将来のための肥しであって、毎日は我慢の連続であり、その結果としてきっと将来は大きな花を咲かせられるはずということを信じる一派
 ②毎日ほどほどで楽しい→キツイことはしない、これによって毎日は未来への肥しではなく、一日一日を充実させていくことができる。楽しい毎日の延長に未来はあるものであり、毎日は将来の墓場では決してない。そういう楽しい一日一日が結果的に将来を作るという信念を持つ一派

 この2つの対立というのは非常に根強く、根深いものがあって。
 ①はいかにもそれっぽいが、そのバスケに充てていた時間を勉強なりなんなりに充てられていたら受験勉強の時間は十分すぎるほど確保できていただろうし、部活以外にもやりたいことがあるんだとすればそれにそのまま時間を充てることが可能になる。全国大会に出て内申点はゲットできるかもしれないが、そうなればいいがそうなれない可能性も当然あるし運も大きく左右してくるだろう。そしてそれを外した時の燃え尽き感ときたらとてつもなく激しいものがある。


 それを思えば②の価値観というのは確かに全国はさっさと諦めるわけだから秀でたものはないかもしれないが。しかし好きなバスケを毎日コツコツできるし、学校生活も充実させられるだろうし、何より余暇に勉強時間をしっかり確保できるのも大きい。つまり秀でたものはないが、しかしバランスはいいのだ。そういう楽しい毎日で根性が身につかないと言われるかもしれないが、根性が身につくったっていかにも概念的な話であり、数値的に表せるようなものではない。


 ただ後者の価値観に欠点があるとすれば、日々張り合いも何もないんだけどそれでも毎日勉強を続けられるというほど人の精神力はとんでもなく強い……ということは全くないわけで、理想的にはそううまく事が運べばいいんだけど、それができるだけのとんでもなく強靭な意志を持った人間は恐らくほんの一握りでしかないということだろう。大体は毎日だべって過ごして終わりになる。こうなっては理想的な生活も絵に描いた餅でしかない。


 ・ただ①という理想的な向上心というものだけが向上心ではないし、そういうものではない形の向上心もあるというのは大切だろうし、何よりも日々を犠牲にして進んだ先で、その習慣から習慣を戻すということはとんでもなく難しいということもある。実際には毎日を未来のための肥しにして頑張ると言う生き方を外れると、もはやだべるしかできなくなる。そんな器用に習慣をつけたり外したり出来たら苦労はしないという。








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