向上心について






 ふと思った。
 誰も見えないところで陰湿にネチネチやるとか。あることないこと上司に吹き込むとか。できる限り頑張ってるやつをなんとしても蹴落とそうとか。あの何とも言えない後ろ向きな情熱、あれ一体何なんだろうなあと思うに、いろいろ考えた結果、あれは紛れもなく向上心なんだなということに気づいてけっこう驚かされた。
 してみると向上心というヤツも二通りあるらしい。
 普通に自分のやるべきことやって向上していこうとするもの。多分こちらの方が普通なんじゃないだろうか。
 もう一つは相手の足をできる限り引っ張り、できるだけマイナスな影響を与えることによって相手のミスと不調を誘い、あるいは上司の評価を下げることによって相対的に自分の知いや評価を上げようとするもの。こういう形の、いっていれば向上心の亜流みたいなやつも向上心の中にはあるんだなあというお話。


 ・前者は絶対的な向上心というか、言ってみれば「そこに山があるから登る」というようなもので至って単純だし、努力する対象がそこにあるからとりあえずやるというような、いってみれば体育会系的なノリと、例えば記録を伸ばすとか筋力増大みたいな手っ取り早く短絡的な取り掛かりをする傾向がある。短絡的というとあれだが、このストレートさ加減というのは地味に要素として重要なんだろうなあと思うのだ。ゲームの方がもっといいかもしれない。ハイスコアを単純に狙うとか、昨日よりもっといい点、いい成績を狙うというか、非常に単純な要素で成り立っている。だから始点ー過程ー結果というのが目に見えてわかりやすい特徴があり、やる側としても非常にわかりやすいのでとっつきやすく、また同じ形で捉えられるものであれば皆同じように取っ組み合っていけるので結果的に順応性も高くなるという特徴があると言えるだろう。
 そして恐らくは部活動なりなんなりというのはこの形の向上心を作るのには非常に向いている。この形にどこかの段階でどっぷり浸かっているかどうかというのは向上心のあり様としては岐路になるのではないかと思うのだ。


 ・それができなかった場合の向上心というのが即ち後者であって、基本的にどうやって向上していったらいいのかがわからない、あるいはそうした経験が非常に希薄という前提をもっている。どうやって向上したらいいかわからない、という点ではマジメだが、そのうち気付くのは、努力みたいなことをやって評価を上げるというのはものすごく時間がかかるからコスパが(あるいはタイパが)悪いということであると。それに比べれば、相手を蹴落として評価を下げるようにやっていけば、自分の評価は簡単に上がるわけで、ものすごくコスパが良い。そういう結論を持つ傾向がどうもあるらしい。で、これがまた非常に画期的な効果を上げる。人は根も葉もない話であっても、いい面よりも悪い面の方を知りたい生き物でもあるわけだから。


 で、そうして頑張ってるヤツらを一人また一人と追い落としていった結果、仲間や味方がいなくなり仕事が一気に増え、とうとう最近崩壊したらしいという風の噂を聞いた。そんなバカなと笑ってしまうほど単純な話なのだが、そういう結果に陥るかもしれない可能性をもはや考慮出来なくなるほどに、その後ろ向きな向上心(?)の味は格別なようである。


 しかしじゃあそれが原因で職場は潰れたのかというとそういう話ではなく、最大の問題はそういう人の言葉、つまりは讒言(ざんげん)を積極的に聞き入れる体制があった、そして自分の目で見た評価を次々と覆した。そういう場所が作られていたという意味で、その上司の管理体制が最大の問題だったということだ。恐らくはその上司も、「人ってのはいい面もあるが悪い面もある」と思い、そして人は本性を常に隠している生き物なんだとどこかで人という生き物の悪の面であり本性を疑っていた。表面をはぐったら裏面=本性が出てくるというように、人間というものをどこかで単純化し、人という生き物を舐め切っていた……つまり本性と呼ばれる裏面ですらもまだはぐるだけの余地があるということを考えることができなかったというところ(つまり考えや概念が浅いというよりは、言葉と概念のそれっぽい外形に人がいかに容易く影響を受けているかという話でもある)に真の病巣があったのではないかと思っている。まあそれは余談。


 ・そういうわけで、普通に普通の向上心を持てるっていうのがどういう現象なのかはわからないが、そういう普通の向上心を持てるってことは幸せなことなんだろうなあ、などとしみじみ思ったという話。



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