メキシコとコーラ







 最近見たYoutubeの動画の中で断トツおもしろかったのはこの動画。
 メキシコでメチャクチャ飲まれるコーラ。そして糖尿病。膵臓(すいぞう)からもはやインスリンが出なくなるまで飲まれており、体調不良ならコーラ飲めば治るよとまたコカコーラという。


 ・コカ・コーラなんて一企業であり、一企業でしかなくコーラなんて店頭に並んでいるだけ。大したインパクトなくないか?と思っていたんだけど、ここまでになるともう全然見え方が違っており、明らかに人を殺しにきているしそれはもう露骨な殺意すら感じられるほどなんだけど、しかしこうして生活している我々がそれ以上のものを感じることはやはりない。
 そして企業というものがもつある一面、即ち利益を上げるため、そして利益を最大化するという目的のためなら、確かにこうしていることは企業の理想を体現したようにも見え、あるいはそうして活動している以上は何ら文句のつけ所すらない、従順で理想的なようにすらも見える。しかし、その根底にあるのは自分のところの製品を愛用している人々を徹底的に搾取するという実態でしかない。これはもはやコカ・コーラ帝国であり現代の帝国主義であり、そこには健康への配慮や優しさなど微塵も見られることがない。我々はコーラを提供しているだけ、そしてそれを飲むか飲まないか、買うか買わないかは顧客の問題でありそれ以上は知ったこっちゃないということなのだろう。


 ・優しさとは何か。
 現代においてこれほど難しい問いもないんじゃないかとたびたび思う。
 最近ではドイツがホームレスに優しい公園を目指しているとやっていた(まあ移民問題は数多くあるという背景はある)その反面、日本は公園をそのベンチを改修していき、ホームレスが近所に住めないような街を目指してきたし、子どもが遊んでいれば「うるさい」と遊ばせないようにしてきた。理解ではなく強制を求め、人の存在をうるさがり、そして共存ではなく排除を求めてきた、その結果少子高齢化にあえぐような国になって移民を入れ、かえって問題のある人間の方を多く入れるようになってしまった。まあ厄介者をできるだけ入れたくないのはわかるものの、一方的な排除だけ、排除に特化したようなモノを発明する。ベンチには休めないような仕組みがあり、安楽や休息よりはそこにいたくないと思わせる、有無を言わせぬ排除の論理を展開、そういう付加価値のあるものを愛でるし愛でてきた日本人が果たして優しいのかどうなのか。これはもう先述のコカ・コーラみたいなことをやっていないかというのは思うし、完全に切り離して考えられないということも思った。


 武器輸出もそうではあるけれど、日本産の優秀な兵器を他国へ輸出し、それによって外貨は稼げるし他国の安全を守ることはできるという反面、他国同士が殺し合えば自分たちは安泰で儲けられてウッハウハというのでは単なる死の商人でしかない、そして経済的に行き詰ってなんとかして稼がなければという状況に追い込まれた日本はそれしか活路がない反面、その道以外ででもなんとかしてやろうというような道を見失い、気概を見失って安易に兵器輸出国になろうとしているような印象は否めないなと。そこにはやはり優しさらしきものは見受けられない。自らの安寧のためなら他者を地獄へと何人でもという姿勢。


 ・まあいろいろ思うことはあるわけだけど、なんとなく世界を問わず起きている普遍的な現象というのは即ち優しさが足りなくなっているなと。効果的で効率的であるのはともかく、利益を追い求めるのはともかくとしてなんとなくどこか血生臭い印象がぬぐえない。そういうものがあまりにも増えたし増えている印象がどうしても拭えない。そんなことを思った。






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