かたつむり






 先日寅さんを見た。全く興味なかったところが途中からおもしろい展開になったのでほぼ見てしまい時間が無くなってしまって軽く後悔したのだが、しかしこのなんだかよくわからん寅さんという映画の本質に迫るような回で、非常に見ごたえがあったという。


 ざっと説明すると、知的障害のある花子(多分この字であっていると思うが)という女性がいてあーめんどくせえなあと見ていた寅さんだったが途中から放っておけねえなあと思い始め、段々感情移入し始め、その花子が「寅さんにお嫁さんにしてもらおうかな」と気軽に言ったことあたりからのぼせ始め、とうとう本気で結婚を考え始めるというある意味異様な回だった。


 ・寅さんからすると「こいつはオレがいないとダメなんだ」という思いがあって、こいつをなんとかしてやろう。なんとかしてやりたいという思いがある。それが花子への優しさに繋がる。よし、オレが何とかしてやるというその思いが花子への行動へと繋がる。
 これというのは非常に重要な点であって、形だけみると非常に差別に近いものではあるのだけど、まあ言葉に表せば特別扱いとなる、しかしある意味では差別も特別扱いも似て非なるものとは言い難いほど近いものであって、これを「差別と特別扱いは違う」とみるか、それとも「まあ似たようなもんだな」でその先は大きく異なることになるし、そういう道のりを我々日本人と日本の文化は確かに乗り越えて来たらしいという妙な実感のようなものを感じられた。
 具体的にはそういう優しさを「優しい」と言って受容できるか、それとも「女だからと言ってバカにしないで」と突き放すかということになるわけだけど、一口にいうところの「優しさ」が一体どのようなものであるかというのは難しい、ただその優しさを理解し受容できる文化と歴史があるのは確かであり、そしてそういう優しさというか甘ったるさを「舐めやがって」と突っぱねてきたからこその男女平等になった経緯もあるのだろう。
 つまり「優しさ」ということは簡単だが、その優しさをかけられる側からすればそういう優しさを向けられること自体が非常に屈辱的であるということでもある。半人前であり、力がない、至らないからこそ優しさをかけられるわけだからそういう対象とみなされることは庇護を必要とするくらいに能力がありませんと告白するに等しい……とみなす文脈もあると。いちいち言動にそうした種類の優しさが突っ込まれてみれば、嬉しいを通り越してうざったいと思っても不思議ではない。まあずっとそうやっていては文字通り「取り付く島がない」ということになるのだろうけれど、ただその優しさへの拒絶を通して自立を考えるし考えたいのが現代人なのだろう。


 ・寅さんが結婚を本気で考えだして驚いたのが周囲なんだが。
 しかし驚きだったのは、いつもなら
 「何か頭でも打ったのかい?」
 「バカなこと言ってんじゃないよ。寝言は寝て言えよ」
 「あーあーそりゃあけっこうだなあ」
 と茶化す連中が一斉に全く茶化さなくなったということ。つまり、こいつはふらふらしているが実は本気にならないだけなんだと。本気になったらこいつはすごいんだ、ただ本気にならないだけなんだと実はものすごく強く期待していたということ。普段は自他ともに認める「ダメ人間」なんだが、実際はそれはキャラ付けの話であって、内心では誰もそう思ってなかったということ。
 そして何より、寅さんは世話焼きで面倒見がいいというのは誰もが知っていた、そして知的障害がある相手というのはいろいろ難しいだろうが、しかし考えて見ればこの寅さんには(言い方は悪いが)お似合いなのでは?この関係しっくりくるのでは?こうした場合に放っておけねえとなって燃える寅さんはものすごく力を発揮するんじゃないか?という予感みたいなものを強く感じさせた。
 そういう一種独特の期待感みたいなものがあった。
 とうとうくるものがきたかと。
 そしてこれはもしかしてものすごくうまくいくんじゃないかと。


 ・ところがそううまくはいかず、花子は急に青森へと連れて帰られてしまう。
 その時周囲はやはり寅さんのことを案じるのだが、
 「こりゃあえらいことになったぞお!」とタコ社長が会社に逃げ帰るというのが非常に印象的だった。いやここ来てないで帰って仕事しろとかなんで会社に逃げ帰ってんだよといえばお笑いになるところだが、ここのところの切実さというのは寅さんという見栄っ張りでプライドのものすごく高い男が結婚だと浮かれて本気になり、本気でなんとかしたると重い腰が上がった、その引きずり出されたところで花子がいなくなる、それによって最も弱い部分を引きずりだされた上で痛烈な一打を食らうことになる。そして結婚まで考えた相手が連れ去られて黙ってられるかと青森まで行ってしまう。そこから先寅さんの描写はないのだが、自殺をほのめかすような手紙を家へと送ってくるので心配になってさくらが見に行くということでその後はさくら中心の描写になるのだが。


 そこで省かれた部分というのは察するにこういうことになる。
 青森まで行って、その花子を連れて帰った先生と意気込んで対峙するも、何しろ寅さんと先生では言葉の重みが違う、そしていつも通り打ちのめされるのだがじゃあ花子はどうかってのどかで朗らかないつもの様子で(まあ知的障害っていうのが大きいのだろう)歌でも歌ってる、あのお嫁さんになりたい宣言はどこへやら、オレはオレで決闘でもするつもりで来てるってのになんなんだこいつは、まあでもこれが知的障害ってことなのか、ああひどく打ちのめされたし花子はきっとこの調子でここで幸せに暮らしていくに違いないし、こいつと結婚するつもりでここまで来たけど、もしかしてこいつの幸せはここにいて故郷で毎日こうして暮らすことなんじゃないかなあ、あー考えるのもめんどくさくなったし花子はこんなんだし、オレ一人やれ結婚だとのぼせ込んできたことがなんだかバカらしいなあ。

 というような混沌がどうもあったらしいということ。基本的には三点で、まずは寅さんと先生では話にならない、なりにくいということ。まして結婚だなんてのは非常に難しいということ。次は花子は知的障害で話は覚えてないようだし、いっそこのまま故郷でのどかに暮らしているのが一番なんじゃないかと思ったこと。そして最後に自分一人がこうしてのぼせているのがバカバカしくなったと。


 まあそういうわけで、結局は起承転結で毎度通りの何事もなしなのだが、しかし寅さんという人と優しさとは何かということを独特な切り口で描写している非常におもしろい回だった。





この記事へのコメント

  • きんた

    他の会みるよりこの回見ろと言うような回です(笑)
    「寅さん 花子」で検索したらいろいろ出てきますからチェックされてみるのもいいかと思います。
    2024年05月05日 00:24
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