真亀鮨の親方






 ふと思いついたのが、そういや将太の寿司ってどうも結末に違和感があるんだよなと。
 今まで散々憎み続けてきた笹寿司(このマンガ、あまりにも笹寿司をボロクソに書きすぎて作者が現実の笹寿司に謝りに行ったこともあるんだとか……)を将太は「でもそれがあったから今の僕があるんだ!」と言って許してしまうという終わりなんだけど、どうもこの終わりにあるモヤモヤ感が一体何なのかというのはあった。まさかこの時代に成敗して終わりというわけにもいかないので(そもそも寿司マンガってこともあるし)なんというかいい落としどころはどんな感じかなあ、さて終わり方どうしようかなあというのは制作中にもいろいろ試行錯誤があったのではないだろうか。
 そういう意味でカギになったのは(カギとしたのは)恐らくこの神亀鮨の親方だったのだろう。笹寿司の言いなりになって脅迫されて為す術もなく将太の父ちゃんの舟に仕掛けを仕掛ける。で身体を壊した父ちゃんがいて、将太が寿司を握ることになり、笹寿司は神亀鮨を取り壊したりしているのだが。この人、確かに被害者でもあるが直接将太の家に悪さしている人でもあり、カッとなった将太は「貴様ぁぁぁぁ!」と殴り掛かってぶっ殺そうとするのだが、その時鳳寿司の親方が言う。
 「将太!お前が今ここにいるのはなんのためだ、その手を職人の手に作り替えるためではなかったのか。その志を忘れたならば、とっととその男を殴って小樽へ帰るが良い」


 この一言っていうのが将太の方向性をものすごく大きく変えたってのはけっこう重要で、そもそもこの話自体が99%くらい復讐物語だったりするのだがついそれを忘れてしまう。笹寿司マジであいつらぶっ殺してやるという将太の憎しみがこの話の原動力になっていて、3日徹夜とか将太くんにとっては当たり前なのだが普通の人にはかなりムリである。でもその不可能を可能にするものが何かって言えば、将太の笹寿司に対する圧倒的憎しみだったりする。そしてその憎しみパワーの強さによって次々と奇蹟を起こす「努力」家に見えるわけだが、彼がやっているのはその意味では全く努力ではないのだ。
 しかしそもそも根底にそうした異常な量の憎しみがあるわけだが、それでどうするのかっていうのはかなり難しい話であって。江戸時代ならともかく、暗殺や殺害、復讐の手段なんてものはない。父の仇というわけにもいかない。そういう厄介な事情をもった将太が、神亀鮨の親方を殴ったとすればその時点で暴行罪で捕まる可能性がある。そうなったら話がそこで終わりである。あるいはそこで運よく逃れられたとしても別のところで捕まっていただろう。何しろ将太くんは復讐心旺盛な憎しみの塊なのであって、隙あらば暴行に殺害といった方向性にいきなり走り出しかねない二面性を持っているのだ。神亀鮨の親方の話はそういう将太くんの本性がけっこう垣間見えた話であり、他の話にはあまり見えないが将太くんの憎しみ関連の熱意が表に豊富に出ている話であり、それがいかに厄介であるか、そして鳳寿司の親方は恐らくそれについてずっと考えていた。努力の塊に見え天才的とも見える将太だが、実はそのどちらでもなくその内面にあるのは異様なほど煮えたぎったマグマのような憎しみであると。だが、その解答であり方向性を将太に与えたきっかけとなった意味では、それこそ話全体を大きく左右した話だと言える。
 それこそエンディングが佐々木を殴ってスカッとして終了という方がよほど普通である。それが憎しみと怒りのおかげで僕はここまでやってこれたんだと言っているわけだからかなり捻れているというか、話をなんとしても捻ろうという努力が透けて見えるかのようである。まあそれはともかくここで親方の果たした役割がいかに大きかったかということである。この一話がなかったならば、それこそ漫画風に一発ぶん殴ってブッ飛ばして終了という感じに描いていた気はするし、そういう伏線としてなのか、作中でもぶん殴ってブッ飛ばすという描写はちょいちょい見受けられる。恐らくいい落としどころを万が一見つけられなかったならば、そういう終わらせ方をする予定は多少なりともあったのではないだろうか。

 そういうわけで将太くんは暗殺でもなければ暴行でもなく、親の仇とやるわけでもない、その異様な憎しみパワーによって短期間に異常な成長を遂げること、憎しみをただひたすら昇華すること、それによって「結果良ければすべてよし!」というわけで笹寿司を許すことを決めたのである。そのエンディングの不自然な様は今読んでも違和感があるのだが、神亀鮨の話をただひたすらエンディングへの補強材なんだと言い聞かせて読むならば、多少は違和感も薄れるのではないだろうか。


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