七夕/村下孝蔵








 今日は曇天の下、例によってあれやこれややっていた。
 一日中どんよりとしていたが、夕方になって眩しい西日が急に差し込んできて、眩しい夕焼けのその鮮やかさが目に染みるというか心に沁みるような気持ちになった。
 その時不意にこの曲が頭を流れてきて、初めてこの曲が鮮やかに感じられた。なんというか、橙とか青といった色合いが目に見えるように感じられ、作者がこれに込めただろう何か、質感みたいなものをはっきりと感じ取ることができた。この曲に何か特別に思い入れがあるというわけではないが、極めてシンプルにしているからこそ感じ取れるものがあり、薄味にしているから感じ取れる素材の良さみたいなものがあるのかもなあなどと。


 ・あまり関係あるようなないような話だが、人というものが後天的に持てる、一種の才能に近いものが怒りとか憎しみとか憤りの中にはあると最近よく思う。
 こうなったらどうしよう、ああなったらどうしよう、ああ、ああ……というような臆病さに基づく杞憂みたいなものが生きていると数多くあるわけだが、まあそういう生きにくい人間のそういう杞憂が悪い目に出てしまうことも少なくない。石橋を叩いて壊すみたいな生き方である。
 ところがこうした激情はきれいさっぱりそういうムダな杞憂を洗い流してくれる。そういうものを手にした人間の強みで、しかもなおかつそういう杞憂を抱きがちな私のような人間にとってこうしたものを手に入れたというのは今までうまく回らなかった歯車に潤滑油が入るようなもので、とてつもなく強いというのを実感している。何しろ終わった端からすべて消し飛んでいくのだから杞憂の多い人間にとってはある意味最強に相性のいい武器を手に入れたようなものだと言っていい。優秀とか有能なんてものになりたければ、手っ取り早いのは憎しみを手に入れることなんじゃないかと思う。これの役に立つ加減に比べれば、他人の痛みのわかる優しさなどいかにも鈍重で、これに一体どれほどの価値があるというのだろう。
 ある意味、その破壊的な魅力にすっかり魅了された人間なのかもしれないとも思う。


 しかしその反面、役に立たないもの全てを全てゴミ箱にぶち込みながらただひたすら闇雲に怒りに任せて生きるような生き方はいつか破滅を迎えることも薄々わかっている。明けても暮れてもひたすら憎しみではいつか滅ぶ、それがわかっていても憎しみというやつはいったん乗るともう止まることができない。そういう焦燥感の中見出した何かであり、ゴミ箱に入れたまますっかり忘れてきた何かであり、懐かしい何かなんだが、その鮮やかな何かが一体何なのかがわからない。でもそれは多分怒りのままいつかゴミ箱に叩き込んできた懐かしい何かなんだろうとは思う。とはいえ今うまくいき始めている以上、敢えてその役に立つものを捨ててまでゴミ箱からそれを拾い上げて生きるというのもおかしな話だ、なんてことを思っているうちにきっと人生なんて一瞬で終わってしまうに違いない。






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