モノと人






 包丁ってのは実に変わったものだ、などとふと思った。


 切れ味でいけば高級で非常にいいものがいいに決まっているが、切れ味がいいからスパスパ切ってストレスもなくものを推し潰すでもない、いい仕事をしてくれる。
 その一方で百均に売っているような100円の包丁やナイフも捨てがたく、ちょっとすべって手に当たってもまあまず手が切れるということがない。おっとと手が滑ってもなまくらなので当たった方の手から血が出ない。これはつまり言い換えれば安全性に非常に優れているということもできるだろう。
 よく切れるという切れ味と、万が一でも手を切らないという安全性。これはもはや二律背反であり両雄並び立たずといった感じがある。切れ味を求めればいつか万が一手を切るかもしれないことと無縁ではいられないだろうし、安全性を求めれば手に当たっても切れないけど食材も切りにくいと。じゃあまあいい落としどころは何かって、腕を磨いていい包丁を使いこなしてなおかつ手を切らないというところに行き着くだろうし、多分この世の中は大体そういう感じで回っているんじゃないだろうか。だから安全性よりも切れ味であり、安全第二といえばまあそういう感じだろうか。
 別に安全第一じゃないからおかしいとかここで言いたいわけではない。


 ・要素としてそのモノ自体にまつわるプラスとマイナスとがある。
 例えば切れ味を例にとると、包丁がよく切れるというプラスがあるが、それを活かすためには日々の手入れということは欠かせないだろう。酢をかかったまま放置して、次見た時には錆び錆びになっていたというのでは本末転倒である。それなら百均のなまくらに期待した方が余程良かったというものである。つまり「モノがある」というプラスを活かすためにもそれなりの作業は必要となってくる。研いだり整理整頓したり錆びないかといろいろ手を掛けてやる。こうしたことによってそのプラスを100%のまま活かすことも可能になれば、あるいはそれ以上を目指すことも可能になる。
 その一方で、マイナスを目指すことも十分可能ということもある。せっかくの高級な包丁を買ったのであればその切れ味を存分にといいたいところではあるが、日々の手入れや整理整頓次第では一回使って次出してみると錆びているということは十分あり得るだろう。つまり何かって、モノがあるということとは別に、それを持った者がモノと一体どう関わるかによって引き出せる要素があるということになる。


 これをざっとまとめるとこうなる。
 ①プラスなモノのプラスをさらに引き出すプラスがある(日々の手入れ)
 ②プラスなモノのプラスをマイナスにしてしまうことがある(放置したら錆びた)
 ③マイナスなモノからプラスを引き出すことがある(錆びた包丁をよく手入れした)
 ④マイナスなモノからさらなるマイナスを引き出すことがある(錆びた包丁を使っていたら手を怪我して雑菌が入って化膿した)


 これから言えることは、モノがあるだけであるプラスもあるにはあるが、それを引き出すための人の行動も非常に重要であるということ。その真価を引き出すには人の行動が欠かせない。
 例えば名刀も100本あってもそれを山のようにしていては危なっかしくてまともに関わることさえできない。崩れた拍子に自分の首を切ってしまうかもしれない。そして意外とそういう現象は世の中に多々あるんじゃないかなあということをふと思った。これも真価を引き出すということの1パターンではあるにせよ、引き出し方があまりにもまずいと名刀であり切れ味がいいという最大の長所がなんと最大の短所に化けてしまう。そういう現象を例えば「管理が悪い」というのは容易いのだが、それは的確に見えて恐らくやや間違っている。モノ自体のプラスを引き出すにもそれなりの力量が問われるということに対する意識が足りないということ、そしてそれも含めてそれ以上に重要なのは、モノというものの真価を引き出すためには自分という存在がそのモノと一体どのように関わるかが非常に強く問われるということなのだろう。関わり方が悪くてその真価を発揮できない、あるいはそのモノの真価を損ねているのだとすれば
それはモノではなく持ち主が悪いということが言える。


 先の包丁の例で言えばよく切れる包丁は切れ味がいい、あまり切れ味が良くない包丁は安全性が高いということもできる(まあ言おうと思えば)。こうなるとムダな包丁はないと言うことも一応はできるだろうが、ただどのような包丁であってもその利点を削ぐことはいくらでも可能になると。放置して錆びさせる、山のように重ねる。活かすも殺すも人次第ということであれば、ここで問われているのはモノではなく人の方であり、人の腕が問われているということができるだろう。


 まあこの時代、金さえ出せばなんでも手に入る時代になったし、ちょっといい包丁程度なら入手するのはそこまで難しくはない。手に入れるのは簡単でも使いこなすことは非常に難しいし、それ以上に毎日手入れしてやるということになると途端に非常に難しくなる。この難しさが何に由来するかってモノの真価を引き出すことがいかに難しいかでもあり、それを持った者としてどのように関わるかということが常々問われていることに由来するのではないかということ。
 さらにはプラスな価値を発揮するのは難しくても、マイナスな方へと転げ落ちるのは一瞬だということ。それこそプラスな価値を持つ名刀をまるで勲章のように我々はつい山のように積み上げるものの、そしてその一本一本の価値を語るのは容易くても、その山を解体して一本一本を使おうとした場合にもはや危なっかしくて近寄ることすらできないという場合が往々にしてあるということ。そしてまた我々はそういう名刀の墓場みたいなものを作りたがる傾向がものすごく強いということ。そしてそういう墓場みたいなものを見るたびに思うのは、どう考えても本来の真価を発揮する場ではないだろうという思いと同時に、まさに「包丁が泣いてらあ」という事態であり、さらにそれを突き詰めていくならば所有は簡単で金はあったにしても、そのモノを持つ資格についてはなかったんだなということであって。


 そういうわけで、モノを見れば力量が分かるし意識も分かれば腕前もわかるというくらいにモノというものは非常に雄弁に物語る……というより、所有者が一体どういう人なのかがモノによって雄弁に「物語られる」と考えた際に、モノというものもなかなかバカにできないものだと思った今日この頃。
 まあ包丁を山のようにして墓場を作ってそれを勲章のように語っていたとすればもはや考えるまでもないんだけど(笑)、こういう現象は意外と少なくないのであって。







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