タクティクスオウガ㉟-2、セリエのリサイクル






 ということで前回はレオナールが死後にリサイクルされ、本人の思想や性格に全く関係なく、ただ腕っぷしの強さのみを採用され働かされていたという事柄を挙げた。そしてそれはいろいろ事情はあったにせよ、レオナールが生前やってきた行いの数々を見ているとそこそこ妥当な扱いだったのではないかということだし、そういうむごたらしさを取り上げていくことで人々が納得していく要素というのは確かにある、そしてそれこそが贖罪の過程であり、それを通してレオナールが許されていくのではないかということを書いた。そしてやらかすことを覚悟したのであれば、そういう事態は甘んじて受けるべきものではないかということだし、このタクティクスオウガは一つの狙いとしてそういうものを描き出したいのではないかということでもある。
 そういうわけで次はセリエである。

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 ・ヴァレリア解放戦線という組織を率いていることは周知のとおりだが、主人公デニム一味がランスロット襲撃を企てていた横で同時刻帯にテロ行為をして一般市民に被害を出していたのはたびたび書いている通りである。
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 そしてセリエ自身はそれを肯定しようとしていたのも既に書いた。セリエの気性から考えるとそれが目的に対して最も近道であり効果的である以上はやらない手はないのだろうし、それをやれない、自分の手を汚すことができないなんてのは言語道断であり、結果的には「こいつら血も涙もない連中だ」と悪評を買って人々の心が離れる結果を招いた、つまり近道を選んだ結果かえって遠回りになることになったにせよ、セリエにとってそれは肯定されるべき事態である。それを通してうまみを得ようとしていた以上、ロンウェー公爵やレオナールがバルマムッサの虐殺を考えたこととそこまで大差はない。


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 ・この組織は結局壊滅させられる。
 ただ壊滅させられたということはセリエは終盤それなりに有効な手を打てていた、つまりプランシーの救出に成功したがゆえ怒りを買ったということもあるし、それが成功したとなるとセリエの狙いや目の付けどころがそこそこ的を外したものではなかったのではないか(それどころかむしろランスロット=タルタロスの狙いに近づけた人間など作中ほとんどいないだろう。ルートによってはデニムもセリエにそれを聞く一幕があったりする)ということでもあるし、それができるほど組織が力をつけていた、つまり賛同者はそれなりにいて求心力はそこそこのものがあったのではないかということでもあるだろう。
 ロスローリアンを平気で負かす常勝軍団のデニム一行ほどではないにせよである。

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 つまり終盤のセリエは過激な集団の一種のカリスマとして機能していた、あるいは機能し始めていた可能性はあるとみていい。集団のトップとしてやってきたことが開花しつつあるとも見て取れるだろう。ハイムに軟禁していたプランシーということだから、恐らくは勝手を知った者の多かった組織なので地の利があり、たまたまうまく行き過ぎた可能性もあるにはあるが、そういうことを踏まえてもヴァレリア解放戦線にとっていい流れがきていた可能性はあるとみていいだろう。



 ・レオナールが死後に思想や信念を剥奪され腕っぷしのみを買われて優秀なアンデッドとしてリサイクルされたのと同じように、セリエもリサイクルされる。それはセリエが優秀であったとか気性がどうとか、この集団におけるカリスマであったろうこととかリーダーとしてどうとか求心力がどうといったこととは一切関係がない。そうした一切はどうでもよく、ただ女としての面のみが使われ、そして敵として戦ってきたロスローリアンの兵士たちの士気高揚のためにのみ利用されることになる。ちょうどレオナールがガルガスタンの二バスに使われたようにである。

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 それを直接見てむごたらしいとか残酷だというのは簡単だが、そうではなくここで重要なのは目的のためなら手段を選ばない苛烈な生き方をしてきたそのツケであるということである。


 無関係な一般市民に犠牲を強い、それを目的のためなら仕方がないと肯定してきたセリエが自身にそれを突き付けられそれをいやだというのはおかしいということである。それを言うならば、指揮官であるオズの立場ならロスローリアンの兵隊たちの士気高揚と一致団結のために多少の犠牲はやむを得ないだろうし、むしろ効果的に有効活用できるならどんな手でも使う、それも犠牲はセリエ一人だしいずれにせよ処刑される運命ならば最後に役に立ってもらおうという判断の方がセリエの掲げてきた思想や生き様とは非常に親和性が高いと言えるだろう。組織のトップとしてまとめあげることに苦心してきたセリエ、そして頭の切れるセリエにとって、オズが一体何をどのように考えているかなんてことは朝飯前でわかったに違いない。
 つまり結果としての地獄もだが、過程としての地獄も垣間見えるという意味ではセリエにとっては二重の地獄であったに違いない。

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 そういう生き方をしてきたセリエが最後の瞬間に目にしたものというのは、今までやってきた自分のやり方が一体どのようなものであったかを憎き敵の手によってまざまざと思い知らされることであり。向ける方は無頓着でも、向けられる方はこういうことなのかというのを思い知るということであったのではないだろうか。
 そしてそういう全体像を知らずに潔い死を、組織のリーダーとして毅然とした死を望むなんていうことがいかに虫のいい、甘っちょろいものだったかということでもあるのだろう。

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