「 」という空欄をどのように埋めるか問題。教育ってのは「教えてやる」ことだし「育ててやる」ことだが、これというのは空欄を教育する側が埋めるという問題は恐らくある。これは非常に効率が良く、暗記教育だとか詰め込み教育というのはこれを繰り返すことによって高得点を効率的に取らせる手段ではあったろうが、恐らく詰め込みかゆとりかというものが議論されたあたりから日本の雲行きは一段と怪しくなったように思われる。何が問題かって、結果を求めるならこれらは非常に優秀な手段だが、その反面「 」を教育を受ける側が埋めることというのが常に与えられた手段であるとか求められる解答というものなしには挑むことができなくなったということがあるのではないか。つまり詰め込み教育は非常にいい結果を残した反面、好き勝手考えて自由気ままに「 」を埋める能力を無くしてしまうという一面もあった。
まあとはいうものの、教える側が結果を残せないようならこれはもう由々しき問題でクビになってしまうことを考えると仕方がないことではあるのだが、この時代の一種独特な息苦しさというのは「 」という用意された空欄があり、そして当然求められる解答があり、解答がある以上は解答する側もそれ相当のやり方で挑まねばならず、そういって型にはまっていった結果として自主性を大きく損なうと。
基礎がなければ自主性も飛躍をすることはできないのだが、あまりにも詰め込み過ぎることによってかえって自主性を損ない、自主性を損なった結果としてそれっぽいことは示せはするものの、それは間違っていないだけのものでしかなく、正解をいかに志向するかということにおいては全くの失敗作であると。そういう状況でありながらもはや現状を反省する手段すら見出せなくなっていき、あるのはただ曇天ばかり。ああもう生きていたって仕方がないやといっちょ自殺でもするかみたいなことになるのだが、諸外国に比べても非常に高い教育水準がありながらも、それをフルに活用した結果としてこの世界は息苦しいんで自殺しますという結果と正解を導き出すに至っているのだとすれば、本末転倒もここに極まれりといった感じがある。
この記事へのコメント