ふと行動力があるっていうことと行動タイプ、即ち行動に向いた人間っていうのはかなり一致しないのではないかなどということを思った。そりゃあ行動力があるっていうのはこの社会において一種の誉め言葉だろうし、文字通り行動力があるわけだからそこは否定される必要性はないのだろうが。
・行動力があるっていうのはそもそもがあくまで自分の守備範囲内においてという意味合いがものすごく強い。誰だって自分の守備範囲にはこだわるし、やってきた経験があるから安心感もある。慣れもある。ある意味では自分の庭を歩くようなものだからそりゃあ行動力はあるってことになる。そういう意味では誰だって行動はしているのだ。
しかし行動力がないっていうことが意外と行動力がある場合もある。ムダなことはしない人っていうのは合理的な行動を心がけていたりしてムダだとわかっているがために行動しないということがある。そういう人は必要とあらば一気呵成に動いて必要なポイントだけ抑えていくという意味で本当にムダがない。こうなるといわゆる行動力のある人っていうのが行動力だけはあるものの、普段ムダな動きばかりしていて余計なエネルギーを使い果たしているから肝心な時に動けず、肝心な時がわからないということが起こる。そういう意味では行動力そのものが手放しで称賛されるのはどうなのかというのはある。結果だけ見ると、要点だけ抑えるような要領のいい人の方がいい結果を出すことは決して少なくないし、行動力があると言われる人の方が余分なことをして成果は芳しくないということはある。
まあ、ムダなことをしない人っていうのはそもそも根っからのめんどくさがりなことがあるから、そもそもの行動力はなかったりするのだが。そこまでいくと生命力と言った方がわかりやすいかもしれないけど。
そう思った時に、行動に向いた人と向かない人っていうのはあるなと。もちろん行動力があるがために失敗や成功を繰り返し、経験を積むことができる意味では基本的に行動力は基本的にあった方がいいのは確かではある。基礎として動き回れるというのは才能や素質だろうが、それをいかに研ぎ澄ましていけるか、ムダなことはしないとか効果的に動けるかというのはそのさらに先の話だと言える。
・行動力があるっていうのが基本にあるとして、じゃあその行動をいかに変化させられるかってのは人それぞれの素質が大きく関わっているように思うし、そういう意味での行動向きっていうのは確かにあるなと思う。
例えば本。①買って②読んで③思ったり学んだりしたことがある。その後捨てるか持っておくかはあるにしろ、①で終わるっていうのは意外と少なくない。いわゆる積ん読である。別にそのうち読めばそれはそれでいいのだが、買ったはいいものの一生読まないパターンも少なくないだろう。
まあそれでも買ったものが手元にあることを個人的にはすごく高く評価しているのだが、ただ気にはなる点ではある。
例えば植物。
買ったとして①どのように肥料をやり②どのような場所に配置し③どのような計画でいくのか、こういう計画を立ててやるっていうのはなかなか難しい。まして仮にその先で枯れたとして、じゃあ何がいけなかったのかを把握し次の計画に組み込んで、じゃあまたやるか、やらないかなんてのを考えるに至っては非常に難しい。
これは一体何なのかっていうことを考えると、いわゆる「行動力がある」っていうのは極めて短い期間、特に一瞬だけ頑張るという意味がものすごく強い。そのために、少し時間軸が伸びると途端にその事をもはや考えられなくなるということに起因しているのではと思うのだ。そしてそのことを考えるということは非常に難しい、したがってそこに変化はまず起こり得ないし、反省や次の計画などを組み込むこともそう簡単に考えることはできない。
しかし先の話で言うところの一見行動力がなさそうなタイプっていうのは
「ああ、めんどくせえなあ。なんとかラクできねえかなあ、なんならしなくても済むようにできねえかなあ」と考える。これが何かって、行動に対して思考をはさむことができているのだ。これによって行動に変化が加わる。少なくとも次の行動はちょっとは変えたいと思うようになるし、なんならサボろうとし始める。まあこういうタイプは本当にめんどくさがりでいわゆる行動力がないタイプもいるのだが、しかし行動に思考を挟めるという能力をもっていることがあるのだ。そしてこの点は、いわゆる行動力のある人間にはそうない特徴でもある。体力がないがために効果的・効率的に体力を使うという見方もできるかもしれないが。
・そういうわけで、行動力がある人は下手に行動力自体に自信があるから行動に思考を挟めないし(成長がない)、行動力がないめんどくさがりな人は行動に思考を挟める能力がありつつもそもそも動きたくないので、決めた守備範囲がそう簡単に広がらない(めんどくさい)ことになる。こうなると、残るのはやるけど考えられない人間とめんどくさがりでやらない人間ばかりで、行動が向いたタイプなんていうのは壊滅的にいないということになる。そしてこれはこの現実というものをけっこうよく当てている事な気がする。
だから思ったことは、この2つのタイプを踏まえて、行動はするもののいちいち行動に思考を挟むタイプを目指せば、少なくともこの2つのタイプには陥らない人間は目指せるんだろうなあと。行動が向いた人間っていうのは多分そういう人間ってことになるんじゃないだろうか。
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