失敗は成功の母とかなんだとか






 これは一般的に言われているような意味、つまりエジソンは失敗の連続の末に白熱電球を作ったのだというような縦型の意味にも取ることができるだろうが、ふと思いついたのは横型の意味でも同じなのかもしれないとふと思った。
 横型、つまり秀吉とか藤堂高虎みたいな話である。藤堂高虎を調べると例えば最初の君主は浅井(あざい)長政だったようで、もしもここで下手に成功して出世し、なかなか逃げようがない立場になっていたら織田に滅ぼされていたろう。あるいは次が羽柴秀長だったようだが、ここで下手に忠誠を示して羽柴に豊臣にとやっていたら関ケ原後に生き残ることはできなかったろう。
 人間なんてそこそこ器用なものだからどこへおいてもそこそこ出世もするし成功もする。それこそ文字通り失敗は成功の母とばかりに芽を出すことはできるのだろうが、その成功こそが失敗の始まりという例は大方あるのだろうなと。まとめると、失敗は成功の母なんだが、その成功は滅びの始まりであると。
 だとすれば、下手に成功することなく失敗を続けるというのもこれまた必要なのだろうと。芽を出したところでどうなるというタイミングで芽を出さないということもそれは人の素質としては重要。これはと思ったところで芽を出すことができるというのも一つの素質なのだろうなどということを思った。
 まあそこまで器用に生きれたら人間苦労しなさそうではあるが(笑)





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