昨日しこたま飲んだ。というか話に夢中になってて気づかなかったけど朝になってみると日本酒に焼酎、ワイン二本空瓶になってて単純に2で割っても1.5l前後は飲んでたんじゃなかろうか。年とると酒に弱くなるからねえとか思ってたが意外と全然そんなことはないのかもなどと。もう一生酒のまねえなどと思うのは酒飲みの常。
・ということで地学。
ツイッターには書いたんだけど、そういう内容を一度書いてまた改めてまとめて書くことなどあまりないんだけど。
地学という科目は明らかにおかしい。物理化学受験者は20万人なのに地学は2万人程度だとか、地学なんてやっても大して受験にプラスに作用しないんだからやらないのが当たり前、なんなら高校にそもそも地学を学べる環境が一切用意されていなかったことなど、今思っても色々不自然な要素が多数ある。
これだけの地震大国でありながら、大学受験で地学が学ばれることがなく、その後も一切触れる機会が用意されていないというのはおかしい。そしてこれだけ受験界隈で不遇な立ち位置であるので、当然選ばれない、選ばれないために物理化学を選ぶ人が結果として増えるということもおかしい。
そしてそのことが普通であり、常設されてないのも当然というその事に違和感を感じることさえなかったということがおかしい。
・まあゲスが勘ぐって考えるならば、地学ということを学んだ人、地学に精通した人がいないということというのは期待されているということ。誰も知らないがために考えることさえできない。そうした状況で誰が得をするかって、原発推進派なんかは「ここに立てます」って言ったところで誰も地学的な内容を知らないんだから当然その観点から考えることができない。つまり反対派の勢力を削ぐことを考えるならば、地学関連に関してはできるだけバカでいて欲しいという願望はある。
そしてバカであるがため地震に危うい場所に家を建てたりして壊滅してもらって、あー壊れましたねじゃあ直しましょうかとなって金を出してもらうと。つまり経済を回す力にもなる。
つまり何かって、巧妙な愚民政策的なものがあり、その一環として地学というものに触れた人間を極力減らしたいというものはあるのではないか?ということ。そういうことはあっても不思議ではないし、その結果としての「活躍」があるのだが、そもそもその「活躍」本当に必要なのか?ということでもある。
などと考えるならば、性根のひねくれたオレなんぞはじゃあ地学をやろうと(笑)その結果何を知り、何を思い、どういう観点ができるのか。そういうことを試してみたいと思った。不都合な真実とかここら辺関連から浮かび上がってくるんじゃないのかなと思っているところ。
まあもうこれで最終回かもしれないし(笑)、あるいは続くかもしれないし、受験とは一切関係ないところから考えていくってのもおもしろいのかもしれないなあを思っているところ。
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