ふと思ったのがこれ。
 確かに運というものはある。
 例えばアイデアがあるとしてそれに続くのは三つ。即ち知と武と運ということになるだろうか。
 知というのはそのままで、アイデアがどのようなもので、どういう性質たか、どういう情報がありそれはここと適合するのかといったことが問われる。当然計算ミスなんかも入るだろうし、そもそもとんでもない方向違いなんてこともあるだろう。
 武、即ち行動力。一言で行動力といっても困難は山ほどあるだろうし、行動している間に方向違いのことを始めるかも知れない。全然関係ない余計なことに時間と労力を費やすかもしれないし、あるいは気づき一発でこの段階を大きくすっ飛ばせるかもしれない。
 そして運。
 いくらアイデアがあり、知に長けており気力や行動力が充実していても、最終的に運がなければどうしようもないということは普通に起こる。例えて言えば砂漠に植林しようったって、いくら計画性に基づいて至って雨が全く降らないのであればその結果は見るまでもないということになる。そういういわば天運はある。他にも東西南北はあるわけで、どの方角を向いているのか、どういう配置なのかで結果は全く違ったものになるだろう。つまり地の理であり、地運というものは確かにある。あるいは人の協力であり、誰が協力しており誰が足を引っ張らないか、そしてそういう人間をどこまで信用するかというのはある、つまり人運というものもある。


 そうした中で結局やっていることっていうのは超スーパーハードモードではあるんだけど、とりあえず運はあってオレとんでもなくついているなという確信一つしか武器はないのだが。それ一つに賭けて、後は脳みそと行動力をフルに使ってどうにかこうにか。まあ寿命を削ってやってはいる。
 いや、成果とはなんぞやとふと思ったわけで。超スーパーベリーイージーモードな話を聞いて、こんな課題超楽勝じゃねえかと思った反面、そんな楽勝な課題で悩めるってことはある意味ものすごくうらやましいことなんだろうなとも思ったという。多分そういうことを含めて幸せってことなんじゃないだろうか。多分そういう意味で外野が楽勝だからと解いてはならない問題というのもどうやら存在するらしい。
 オレの場合、どんな手をつかってでも成功させるという成功第一、成果原理主義的なところがかなりあるのだが、でもそれって別にすさまじい困難を前にしてのみなされるわけではないわけで、ある意味では似たようなものなのかもしれない。とはいえこれをこうやったらとんでもない破壊力があるはずと思ってそれに気づいていても何もしないで傍観し続けるというのはオレにとって苦行すぎると思えば、ある意味ではそのとんでもない苦行を歩んでいる最中なのかもしれない、などと。




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