袁紹と松風焼






 今日ツイッターで袁紹がちょっとした話題になっていた。
 というのは、袁紹って光武帝っぽさを鼻にかけるようなところきっとあったに違いないというもので、それを聞いて確かに!!と合点がいくところがあったのだ。
 そういうモデルを示されるとよりそれに近づきたいと思う、その正解に近づきたいと願うのは果たしてどこまで現代人と古代人とで一致するものかはわからないけども、そういう正解であり理想であり好ましいモデルを示されると近づきたいと思うのは古今東西を問わずけっこう一致するものなのかもしれない。そして、だからこそ問題がより厄介な方向性へと深まるというのはあるのかもしれない。成長ということがこれを通すことで、正解というものの形が変わってしまうということは薄々意識していたけれども、それを果たしてなんと名付ければいいのかはわからない、しかし確かにそういうことはあるのだと思う、そうした何かを一体何と命名すればいいのかはわからないのだがそうしたもやもやみたいなものは常にあった。
 そしてそういう指摘を見た時に初めて、ああ袁紹も一緒だったのかもしれないと思った時に初めて袁紹関連の謎が解けたような気がしたのだ。袁紹というあの立場の人がやっていては当然いけないだろう「オレは光武帝に近づいているか否か」というような不毛で下らない議論。それによって、はい、袁紹さまは光武帝そっくりであらせられますよ、かの光武帝もかくやというようなお人ですよ、いや何ならお生まれが尊いのでもはやそれ以上でしょうと言われて図に乗ってそうかそうかと笑っているうちに滅んだのが袁紹という人であろう。


 でも果たして袁紹という人をどれだけの人が笑えるだろう。誰だって生きている内にはあれやこれやと気になるしこれでいいのかどうなのかと迷う。そういう中で、ああオレは光武帝そっくりなんだ、これでいいんだと思えればもはや迷うことなく人生生きられる、そして迷いなく生きられるということが人としての幸福ではあっても、リーダーとしてはある意味最低点、そういうことをどれだけ卑下して迷えるものだろうか。田豊あたりがアンタそういうのはダメですよなんて言ったところでうるさいと怒鳴りつけて投獄して、自らにおもねる意見を取り上げていけば幸せで心地よい帝国は築けるのではないだろうか。


 袁紹という天下統一に最も近い立場でありながら曹操に負けてなぜか滅んだ人この人を分析するのはやはりものすごくおもしろいというので、改めていろいろ調べたいと思ったという話。


 ・ついでだが、おせち料理っていうのは年々衰退する一方なんだが、なんか手軽かつ美味しいメニューないかなと検索したら出て来たのが松風焼。これ挽肉とネギがあればできる超優れたメニューでありながらとんでもなく美味しい。
 せっかくなんでこれをおせち料理に勧めたい。これ小学生の時になんとなく給食で食べて、なにこれ、メチャクチャうまいと思った一品だったがまさかのおせち料理だったとは。
 ということで本日終わり。酒飲み過ぎた。








この記事へのコメント

にほんブログ村 ゲームブログ ゲーム評論・レビューへ
にほんブログ村