向き合うこと






 ふと思ったのは、人生を形作るものの中で一体何が重要かって、好きなものや得意なものをとことん突き詰める能力が大切なんていったらそりゃいかにも、というか当り前だろうというような話なんだが、それというのは氷山の一角にすぎず、実際に形作っているものの大半というのは苦手なものの方なんじゃないかと。苦手なもの、嫌いなものにどのように向き合っていき、どのように付き合ってきたかが人生を決める。というよりまさに人生というのはそういう形をしているということを思った。これというのは光と影のようなもので、好きなこと得意なことを突き詰めている最中であっても付き纏っている影のようなもので、その宿命からは逃れることができない。そういう意味で我々は自由に好き勝手に生きられているように見えるのだが、実際にはそういうもの、つまり苦手なものであり嫌いなものにどのように立ち向かうかが人生を大枠で決めている。そこから逃れることはそうそう出来ないということを思った。


 これは別に国語がとか数学がという話ではない。例えば図工とか体育なんてのもあるだろうし、人間関係がどうとか夏休みの宿題のこなし方がどうとかいうものだってこれに入るだろう。何かが足を引っ張っている、何かが行動を遮っている、あるいは変な癖をつけているという場合に案外過去の何かが原因となっているということは恐らく少なくないのではないか。


 これの何が重要かって、特にこれは教育に大きくかかわることになる。つまり嫌いな科目をこなすことを考えたとして、いやいややっているうちに時間をかけていると苦手意識が薄れていき、それどころか苦でもなくなり段々と好きになっていくことは誰もが経験したことはあるだろう。ところがこれが教えるのがうまい先生が懇切丁寧に教えているうちに何が起きるかって、苦手意識を感じる間もなく得意になってしまう。こうなると確かに点数は稼げるようになる、そしてそれはいいことだと一般に考えられている。結果良ければすべてよしである。ところがそういう部分でないところで、つまり人生というものを総体的に見た場合には、先述の過程がすっ飛ばされることになる。つまり苦手なものを克服していき好きになっていく過程がなくなることになる。せっかくより良い習慣を形付け持てるはずだったところが、その機会を完全に奪ってしまうということが起きる。こうなると教えるのがうまいということはかえって逆効果であり、確かに目先の点数稼ぎにはいいのだが、総体的には大いなるマイナスを背負いこませる契機になりかねない。


 まあそこまで堅苦しく考えながら生きているヤツなどいないだろうが、ふと思えば得意分野だけで生きれるヤツ、苦手分野を克服しようとしてこなかったヤツ、めんどくせえーということに向き合ってこれなかったヤツ、つまりは己の既成の殻の中に閉じこもっていればよかったヤツというのは必ずいつかどこかでそのツケを払わざるを得なくなる、それがつまり向き合うということ。オレはダメだとかここ全然できないじゃねえかとかその都度起こる自分に対する苛立ちに繋がると思うんだけど、その数が多いということは人生において決してマイナスには作用しない。そういう意味での豊かさというものが教育というものの根本的なところにあるのかもなあなどと思った。そういう意味では、そう簡単に克服されない方がいい部分というのは確かにあると言えるのかもしれない。


 しかしまあ、この人苦手だなとかちょっとダメだわと思った人にも積極的に付き合おうとしてプラスになったことはオレの場合あまりないんだが(笑)、そういう弊害もあると言えばあるのかもしれない。
 ま、良しあしですわね。






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