決定権を与えるものは知識量ではなく、むしろ真逆の知識量のなさである、とふと思った。
知識が下手にあると考える要素が数多くあるわけだから下手に決められない。あれもこれもある。そこでNOW LOADINGの時間が多く発生することになる。まあ圧倒的に知識と経験が豊富であればここで即決も可能だが、そういうわけでもない、中途半端に知識があるといろいろ悩み考えることになるのだが、その思考時間の長さは本来決して悪いものではない。
ところが即決で考えを出す場合、意外と前者のような知識と経験が裏付け(超一流)られているという場合は少ない。というかそうではない場合を想定するべきである、ということはそれに関する知識が乏しい場合である。知識が乏しいがゆえにそこまで考えることができない、考える要素がそこまでないがために速い決断を下す結果に陥ると言う場合、何が決定権になるかって知識量の乏しさが決定権を握る。知識量が乏しいがゆえにそこまで考えられる要素が多くないがために、速い決断へと繋がる。AかBかくらいにしかないので速いわけで、しかも日本人はNOを言いにくいようなので、従って80%程度はもう結論が出ている状態になっている、それゆえ決断が速いことになる。ところがこういう場合ろくな結果にならないことは多い。当然である。そういう場合の決断は本来慎まなくてはならないが、その謙虚さがないがために、というより舐められないためにこそヘタクソな決断をし、暴発する場合が多々ある。大体滅ぶパターンである。
と考えるならば、段階としては3段階くらいあって、超一流に吟味してもらう。これが一番良い。
それができないなら知識量はあるのだから時間をかけて知識をもとに長時間試行して選ぶ。これは次善の策。
それもできない場合、もはやろくな結果が期待できないので即断即決をとりあえず絶対にしないことだけ心掛けて不用意な決断はしないようにしつつやっていくと。
まず前提として絶対にろくな結論には至らないことを念頭に置きつつ腰を据えてやるということがその次にくるのではないだろうか。
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