かつて帝国主義だった国々はいまはみんな植民地を手放して同時に没落した。国の華々しい繁栄が植民地の人々の犠牲の上に成り立っている。半面の繁栄が半面の犠牲によって成り立っているという非常にわかりやすい形だがその植民地が独立することによって収入が途絶えていき、そして没落するという非常にわかりやすい形である。「犠牲の上に成り立つ繁栄」というのはそう長続きはしないが、その元を絶てば自然と没落するという非常にわかりやすい形である。
二次大戦の日本の狙いはそこであって、植民地を解放することによって自然と先進国の没落を狙う意図は大いにあったと勝手に思っているが、これを大っぴらに言うと陰謀論者になりかねないので今回も陰謀論コーナーに入れておくことにするが(笑)、まあ解放された場合と解放されなかった場合、どのくらい違うだろうかと想像するのもおもしろい。
・「帝国」という概念が残っているとすれば少子高齢化現象もある程度まで納得がいく。
たびたび話題にしてはいるが、1970年代にはすでに2020年までの人口統計が大まかに作られており、まさに今のような人口になるだろうと言われてはいたものの、それから50年余り全く手を打ってこなかったのが日本である、という時になぜこんな愚かなことを続けてきたのだろうと思ってきたのだが、一つにはこの帝国という概念は少なからず影響があったのではないかと思っている。その当時に人口爆発が懸念されておりこのままいくと地球が人口の増加によって滅びる、従って人口の抑制が大切だと言われていたということだが、それにしたってここまで急速にやっては抑制はおろか滅亡すら起きかねない。
なぜここまで急速に進行したのかを考えるわけだが、これヤバいよ、50年後日本滅びるよなんとかしようよとやるよりは、でもこれならオレたちの数一番多くなるし、選挙はオレたちの意見を当然通るわけだし、若者が増えたら意見が差っ引かれるし、年金が破綻するったってオレたちが死んだ後の話だし、若者は若者でなんとかするだろうし、そもそもオレたちが生きている間はなんとかなるんだから別にいいんじゃね?という姿勢が少なからずあったということは否定できない。つまり問題解決を選ぶよりは、プチ植民地ごっこを通して我々は少なくともウハウハのまま一生を終えられる、後のことは知ったこっちゃない、若人たち頑張れよと。恐らくそれ以上のことはそこまで考えてなかったんじゃないかなと。
そうしてもはや持続不可能であるので外国人でも入れましょうとなり、日本人が日本人ではなく中国人富裕層を支援しつつ取り込みつつなんとかやりくりしているとか悲惨な状態だけどまあこれ以外に手立てはないわけで。多分これまでの過程のどこかでそうしたプチ帝国でありプチ帝国の魅力に取りつかれたんじゃないかなあとふと思ったという話。
酒飲んでると途中からなんか頭のめぐりが悪くなってきたぞ(笑)
この記事へのコメント