あまり相場の話は書かないようにしている、というか元をただせばここは文学について考えようと思って建てた場所なので違う話は基本控えようと常々思っている。
まあそんなこと言ったって、文学ネタは片手で数えるくらいしかないのだけれど(笑)
・BTC価格が500万を越えたってのは最近の世相と全く無関係ではないんだろうななどと思いつつ、地味に毎日BTCの値動きを見ている。ウクライナ戦争で手いっぱいのアメリカが、今度はパレスチナ、もう手いっぱいで手が回らない、こりゃ大変だというのがこの値動きに大きく関わっているのだろう。そういう意味ではウクライナ戦争もパレスチナ紛争もダシに使われているってのが真相の一部なんじゃないかななどと思いつつ。世相が荒れれば荒れるほど値動きも荒れる。
・ウクライナ戦争は2022年2月24日、その当時300万程度だったのが一度急落して今や500万。途中イーロンマスクが売るなどして急落とかしてたなあなどと思いつつも、基本的にはみんなこれを買い求めるし、世相が荒れれば荒れるほど上がる傾向にはある。みんなが欲しがっているから買いあがっているんだとすれば、「戦争は買い」ではないが確かに買いの局面なのだろう。だとすれば、あのパレスチナの悲劇も最終的にBTC価格の上昇に一役買っているんだとすれば全く皮肉なものである。人の不幸が究極の宣伝であり広告となっている。不気味としか言いようがないが、そういうものは確かにあるのだろう。BTCだけじゃなく金の価格も上昇中というのはよく話題になっている話。
・結局みんな何を求めているかって勝ち確相場。みんな損したくないし儲けたい。
ふと思うと、日本というのはまさに勝ち確相場になりつつあることに気付かされる。2050年には社会保険料で80%支払うような地獄になると言うが、そもそもそうであれば生活は成り立っていないに違いない。人口統計からみても若年層は減る一方、高齢者が高齢者優先の党に投票を続け、若者は搾取され続ける。若者は減り、減るから新しい若者はいなくなり、そうして衰退の一途をたどる。この異常な仕組みの原因とは何かと考えたときに、誰かが100%勝てる勝ち確相場をこの日本にもたらそうとしているのではないかということをふと思った。つまり、日本を良くしようなどとこの50年誰も考えなかった。代わりに、この日本を舞台に100%勝ち確相場を作り上げ、仕立て上げ、その相場に外国人を呼び込むことを選んだということになる。
従って、そう遠くない将来絶対に日本は衰退する、破綻する、なんなら滅亡する方に賭ければ儲かりますよというのが日本最大のウリってことになる。
その見事なまでに完成しつつある勝ち確相場の舞台で、今の日本人たちはキツイ生活を強いられている。現状何が言えるかって、日本人そのものがその舞台で苦しむ役を演じるだけの存在でしかないということ。何かがおかしいんだけど、一体何がおかしいかがわからない。どこから狂ってきたのか、どうすればよくなるのかがわからない。そういう中でとりあえず毎日苦しむことしかできない。そういう役を与えられているんじゃないかっていうこと。
結局この話の先は何に行き着くかって、ウクライナの次はパレスチナ、しかしその後に続くのはどこかって考えていくと、恐らくその先に日本は位置しているんじゃないかっていうこと。ウクライナの地獄の場面、パレスチナの惨劇の場面、それらと同じように、日本人の苦しみというものは勝ち確相場を彩る1枚の写真程度のものでしかない可能性は十分にある。経済という巨大なものの渦中で、人の生も死も不幸も幸福も単なる記号でしかない、いやなんなら勝ち確ランプ点灯程度の意味しかないんだとすれば本当に悲劇だとしか言いようがない。
なとということを、パレスチナの泣いている少年の悲痛な顔を見ながら思ったという話。
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