なぜ栄えるものがおり、同時になぜ衰退するものがいるのか。このことをなぜなのかと考えてきたわけだが、このことに関してはどうも妥当性というものが大きく関わっているらしい。突き詰めれば、これは当然いい手だろうというものを打てる、あるいは打ち続けることができれば当然栄えるわけだし、それは全く同様に、この手を打ってはならないだろう、この手だけは打ってはならないだろうというような手を打っていればそれは当然滅びる。このことに関してはとてつもなく難しいということはない。ただ事前にこうなるだろうなと予測をして、なぜうまくいったか、なぜ失敗したか、あるいはどこまで予測通りに推移し、どこまで予測に収まらなかったのか。なぜそうなったのか。そういうことを繰り返していけば自然と磨かれていく。磨かれなかったとすれば、そもそも事前に予測をしていなかった場合、そのくらいこれらが念頭に置かれていなかった場合だろう。
・電気代が月々8000円安くなる、あの高かった電気代がこんなに引かれる!ということで契約すると、ところが月々の支払としてはその設備費用で-18000円、これはもうどっからどう見ても赤字経営なのだが「でも電気代はこんなに安くなるんですよ」というような話を聞いてびっくりしてしまったのだが、でもこれによって悩んでいた電気代が安くなるなら喜んでという例はあるのだなと。オレだったら絶対やらないし一瞬でお帰りください、訪問販売禁止ステッカーだろうなという話だったが、まあでもやりたいというのであれば止める理由はない。それが何であれ買うということは望んでいるものを手に入れるわけなので、なんにせよ結果としてはめでたしめでたしではないかと思うのだ。仮にそれによって進んでいた結婚話を芯からへし折り、滅亡へ向けて大きく舵を切るような性質のものであっても、まあオレならやらないというだけでそれをダメだ!などとしゃしゃり出て止めるなどといった理由は全くない。それにしてもえらいむごたらしい話だなと思うくらいである。これは第一の話。
・しかし本当にそれがイヤなのであれば向こうさんもクーリングオフを勧めていることだし、オレだったら迷うことなくクーリングオフする。3日といわず1日といわず速攻で処理する。可及的速やかにやる。クーリングオフできますのでと言われれば、じゃあ今から出かけますわとやる。しかしそれをしないというのであれば、その状況を望んでいるんだなとオレなら判断する。いやよいやよも好きの内というやつだろうなと。そこにエネルギーや時間を使っている時間がもったいないなと思うけど、そうしないなら望んでいると判断する。望んでいる以上は仕方ない。というか迷うくらいならそれもありだなという要素は多少なりともあるんだなと判断する。これが第二の話。
・地獄のふたが開かれたってのがある。というのは、へたに学習能力があると人を踏み台にするってのはなんと心地よい、もはや至上の快感ではないかということに気付いてしまう。人としての道を踏み外しちゃいけないと言う一方で、その道がものすごくお得な道であるという気づきがある。岡目八目、傍から見ているとなんと素晴らしい輝かしい道であるだろうと思えてしまう。人の道などといったところでそれが一体いくらになるというのだろう。それよりはお得な道を選びとる方がよっぽどいい。これが第三の話。
・身の丈というものがある。しかし身の丈以上のものを購入するとか触れると言うのは人にとってそれだけで快感である。モノを買うとか手に入れるということは、その物自体やその価値よりもそういうことに関わっているというだけで興奮させ快楽をもたらす効果がある、しかし果たしてそれにどれだけの価値があるか、今どうしても必要なものなのかということは吟味される必要がある。時として人は散財それ自体にすら快感を得てしまう。いや仮にそうなってもいいとして、それはせめて自分の消化できる範囲内でやりましょうやと。その範囲を拡大するとかもっての外だろうと。これが第四の話。
こうして、きちんとした算数と計算ができない。できたとしてもそれを断れない。人を踏み台にする欲望に取りつかれてそれが何を意味しているものなのかすらわからなくなっている。モノではなく散財にエクスタシーを感じている。それを自分ではなく他人に背負わせる。背負わなくてもいい意味性の希薄な莫大なローンをむざむざと抱える。
これから何を思うかっていえば、こうして人は地上から姿を消すんだなということ。オレは妥当性を考えるので、ある意味ではその妥当性の真逆を行く方向性でありオレが絶対選ばないだろう道を次々と選び取っていることに驚かされる。
しかしまあオレが絶対的に100%正しい保証もない。こういう道を選びとるがゆえに得られるものもあるかもしれない。オレはしないというだけでそこには見事なまだ見ぬ豊かな世界が広がっているかもしれない。オレは絶対に選ばない道の先にいったい何があるかをオレが追体験できるという意味では、この方向性を止めるどころか見守ることで2倍以上の経験をオレは積めるかもしれない。まあ99%以上全滅コースで滅ぶこと確定だろうなと思っているが、もしかしたら意に反して繁栄の道が広がっているかもしれない。まあ正しい生き方もないし間違っている生き方もないので、今後の成り行きをどうなるかと見守っていきたいと思っているところ。
いや、本当はこれオレも口を出す権利はあるんだけど、口を出すとか水を差す話をするくらいなら今後の成り行きを見守った方がオレの勉強になりそうだからと完全な静観を決め込んだという。
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