悪意というのはまるで伝染病のように伝わっていくかのようで。それを人というのは心の奥底で実は望んでいたりするのかもしれない。
よく漫画とかで不幸合戦みたいなのがあるが、悪も同様にこれでもかと負けじとエスカレートしていく現象ってのがあったりするものだが。それをいけないと思ういわゆる道徳心とか人の心ってのは確かにあるだろうが、長く生き権力や自らの生きる意味を満たせていないと、満たされなかったがために手軽に悪によって発散しようという力が生まれる。これはものすごく手っ取り早く、そしてある一線を簡単に用意でき、簡単に乗り越えられ、そしてなによりも充実感をもたらす効果がある。そしてまたこういう面もある。「あいつはやっていたのに、なぜこのオレがそれをやっちゃいけない?」禁断の魅力、魔力というのはどうも確かにあるらしい。そしてこの場合の伝染病は自分が一番早くやったわけではない、あいつがやっていたわけだからオレもやっていいはずだという背徳心を薄める力もあり、赤信号みんなで渡れば怖くないという心理もある。こうして様々なものが複合した結果として悪というのは非常に魅力的なものと化してしまう。全く血も涙もないんだけど、他人の人生を食い物にするってのはこうしたものの中で最も魅力的なもののひとつであるということ。
いや、他人の人生を使って実にしょうもない話ながら、全てを破滅させるような破滅的な金額の契約をさせようという話を耳にして、一体それを可能にする心理というのはどういうものがあるんだろうかとすっかり驚いてしまった。オレもそれを聞いて何とも言えない気持ちになった。これが人生の集大成、行き着いた先の終末、築き上げてきた人生のなれの果てだとすれば、本当に救いようがないと思ったし、いやいっそのことこういう場合とっとと破滅して救いようなどというものを一ミリも与えない方が人間にとってはより良い人生が開けるのかもしれない、そんなものを与える、あるいは与えられるというのは実にもったいないことだと思ったという。栄えるべきものは栄えなくてはならない、しかしそれは同様に、滅ぶべきものはきっちりと妥当に滅びねばならないということをも意味していなくてはならない。そういう一貫性のある強固なものこそが人生においては必要なんだと思う。
この記事へのコメント