言葉としてはまんまなのだけど、この言葉の意味が180度変わりつつある機運というのはここ20年くらいずっとあったなあというのをふと思ったという話。
三国志8というゲームがかつてあったのだけど、これの顕著な特徴としてコンピューターがアホだったことが挙げられる。具体的には、弓隊ってのは後方に控えてて先鋒の後ろをくっついていって、隙あらば弓を打ちまくるというのが普通だと思うのだけど、このコンピューターはアホだったので、まずは弓隊が突っ込んでくると。その次に護衛するはずの歩兵隊とか騎馬隊がくるもんだから渋滞を起こして各個撃破されるというのが当たり前だったので、こちらはそれを見越していればよかったし、全く逆の手を考えておけばよかった。つまり歩兵や騎馬によって弓を守ってやり、弓が延々と打ちまくると。
どうしてこんなにアホかなあ楽勝だと当時は思っていたが、考えてみれば敵が規律正しく攻め寄せてくればけっこう勝ち目なかったんだと思えば、あれは手加減の一種だったのだろう。
ふと気づけば、人間社会は同じようなことが多々見受けられるようになっている。
人と人が力を合わせて何かをしようというよりは、こいつ弓隊だからこいつに活躍されると厄介なんだよな。じゃあ先行して敵さんに潰してもらって、その後に功績はオレの独り占めだみたいな思考によって各個撃破されていき、そして全軍が大敗すると。これというのはしっかりした思考の一種で、他人が輝けばオレには光が当たらなくなる、光が当たらないとお前何やってたの、サボってたのとなる、なら潰しておいた方が得であるというある種の人間関係のバランスみたいなものの働きによってもたらされるものだとは思うものの、それにしても結果からみると少し愚かすぎないかと思えるし、これってまさに三国志8のコンピューターみたいなことをやってるなあと。
人間はしっかりしている、関係を良く把握し、バランスと空気感をきっちりと読み切るバランス感覚があるからこそ逆に滅ぶというところがあり、その意味では三国志8のあのアホコンピューターってのはまさに先見の明があった。今思えば。
そういうようなことを念頭に置いて20年社会を見ていった結果、いわゆる「人間的」というのはいわゆる「機械的」になっていき、そして「機械的」と呼ばれるものが「人間的」になっていく現象が起こっているなと。機械的でつまらんとかつていわれていたことがかえって一部の天才の発想がそのままAIによって実現化されていった結果人間的な素晴らしい開花を遂げている一方で、これが個性だ人間的で豊かだといわれていたものがしっかりしているがためにかえって機械的になり、何よりも結果的には滅ぶ結末を迎える。しっかりしているがために足を引っ張り、足を引っ張るがために各個撃破され、そして総体として負ける。
今の日本なんてこのままでは滅ぶとわかっていながら亡国の策を打ち続けているけど、これなんでなのかと思うに、根本にあるのはこれなのでは。つまりしっかりしているからではと思うのだ。しっかりしているがために、しっかりしている以外の手を打てないのが根本的な敗因なのだろう。
この人間的と機械的の逆転現象をなんと呼ぶかは知らないけれど、興味深い時代になったもんだと思う今日この頃。
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