とある人のブログで紹介されていたが、
 「人は本当に自分の望むものを相場から得ていく」という言葉を言った人がいるんだとか。相場がどうとかはともかく、これは言葉として真理を衝いているものだと思った。


 人は確かに人生で自分自身の望んだものを得ていくのだと思う。起きた出来事に対して不満を言ったり愚痴をこぼしたり、みじめったらしく過去に対していろいろ言ったりしているが、そのことの意味とは何かって常に人は自分自身の望むベストな人生を生きているということに他ならない。こうでありたい、こうであってほしい、オレの人生はこうあるべきだ、こうであって欲しい、そうした願いや怒り、不満や願望、そうしたものが複合されて人生というものはその方向性は形作られていく。そういう表現をするといかにも過去的だが、そういう過去を作っていきたいと思う時点で未来に対して我々は願う。クソったれな決断をして、その決断のクソったれぶりに後々痛い目に遭ったのだとしても決して決断が間違っていたんじゃない、その後に起きたことがクソだっただけだと言って自らを慰める。決断はクソだったとしても、その後に起きた出来事に対して自らを適応させていく。順応していく。そしてその中で最もそれらしい言葉を言っては自らを慰め、自らを誤魔化し、決断は正しかったと言い聞かせる。
 全てがこれによってなんとかなるんだとすれば、人生というやつはすべてが最良のものとなる。


 そうしていくと何か、人生というやつはそのすべてが細部に至るまで自分自身によって望まれたものであるということに気付かされる。結局一日一日、一事一事を決定していくのは自分自身に他ならないってことなんだろう。それがすべて不満と怒りと絶望と愚痴から構成されていようともとりあえず言えることは「これはオレの城だ、オレの人生だ」ってことで。傍から見れば「おいおい……」というようなものであったとしても、そうでもして一生死守したいだけの城であるんだから、それはさぞ立派なものであるってことになる。





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