努力と成果






 昔海自で働いていた時のことをふと思い出した。


 ある時に幹部試験を受けて、これがいわゆるA幹試験というやつだったのだが、一次の筆記試験を受けて通ったことが始まりで地獄を見た。
 試験自体は友達が受けると言うので、じゃあオレもやってみようと思い過去問を一周だけして受けたもので、過去問さえ見ておけばそこまですさまじく難問で悪問という感じではなかった。本番はどうなんだろうかと思いきや、過去問とかなり似た傾向で、過去問みて大体こうなんだなということさえおさえておけばそこまで難しいものではなかった。
 友人は落ちていたが、若かったのでまあ来年があるさーと言っていたら自分は受かっていた。オレは年齢的にラストチャンス、試験には通ったものの、幹部になるとかならないとか本気で考えたことがなかったので迷った。オレは幹部になりたいのだろうか?給料は上がるんだろうけど(大体1.5倍くらいには)、そこまで幹部になりたいとは思わなかった。まあ面接、二次試験受けてから決めようと思っていた。


 で、「二次試験は(確か)7/20です」と言われて、いやーな予感がした。
 7/20だと!?……オレ確かその日はものすごく重要な予定が入っていた気がするんだが。


 帰って予定を調べると、7/20はアフリカへ向けて出港するまさかのその日だった。
 なんてこったと頭を抱えた。試験に落ちて友人は落ち込んでいたが、試験に受かって落ち込むのはオレの方だった。気楽に受けて通ったがためにとんだ厄介事を背負いこんだもんだと。
 多分マジで舌打ちしまくっていた気がする(笑)


 これこのままいったらどうなる?
 ①試験当日はオレの試験日なので言えば受けさせてはもらえる可能性はあるだろうが、その場合出港作業にはオレは加われない。
 すると後で沖縄あたりへヘリ等で移送されるという流れになるかもしれないが、その場合船への迷惑と、その移送させる部隊への迷惑がかかってしまうことになる。当時船が変わったばかりなのにいきなり第一印象白い目で見られるというのはごめんだと思った。


 ②試験が優先させられて、じゃあ1日出港日をずらそうという可能性、まあ0.00000001%くらい。
 もしもそんなことにでもなったら、当日いろいろお偉いさんだの自衛官の家族だのが来てセレモニーだなんだやるってわけで、さらにどえらいことになる。こうなったら白い目で見られるどころではない優しい世界観であるがゆえに地獄になる可能性がある、まあ最悪のパターン。


 ほかにもいろいろあったが、恐らく①になる可能性が最も高いと考えて、じゃあどうするか。
 よし、オレは完全に二次試験の日というものの存在を忘れることにしようと腹をくくった。どう転んでもろくなことにならない。そういうわけで日本を出る当日まで誰にも話さないしオレもすっかり忘れてましたでいこうと考えた。万が一誰かが「そういや幹部試験……」なんて言って蒸し返すことだけが恐ろしかった。頼むから誰もこのことに触れないでくれーと思いつつ、出港日まで素知らぬ顔で過ごした。
 そうして出港日、陸地が離れていき、徐々に小さくなっていく陸地を見ながら、あー良かった終わった終わったとホッとしていた。恐らく一月くらいは悩んでいたんではないだろうか。こうなってしまえば、もう悩む必要も全くない。胃が痛くなるくらい悩んでいたが、ようやく解放されたわと思っていた。


 ・2~3カ月くらい経ってある時に船の副長に当たる人がその話をちらっと振ってきたことがあって、「あ、やべ、きたか」と背中にやや汗をかいたもののそういう話ではなくて
 「いやー幹部試験蹴ってこっちくるとはねえ!剛の者だねえ!」
 というような話になった。剛の者、まあ豪気だねえという感じだろうか。ああそういう話の落ち着き方になるのかと当時思ったが、恐らく試験会場の方ではそうではなかったに違いない。というか海自はそう簡単で一筋縄な組織ではない。
 恐らくだが、試験会場と試験日を決めて用意して待っていたのに姿すら現さなかった、それも一般の人ならともかく部隊のやつが姿を現さなかったとなると恐らくカンカンになって怒るはず。完全にさぼって姿すら現さないとかマジでこいつ舐めとんなと考えるはず。しかも面接試験なんていわゆる「がんばります!」で押し通せということで有名だったから、その簡単と言われる試験にこないとか。で、オレの所属する部隊を調べて一報入れてやろうと。灸をすえてやろうとなったに違いない。
 「いやナントカってやつが幹部試験さぼってこなかったから一言注意入れてもらっといていいですか。マジでふざけたことすんなって。面接行く気もないくせに試験受けるなって」
 「え、でもその日はアフリカの海賊対処の出港日だったから」
 「え?あーなるほど、じゃあしゃあないっすね」
 ……と、いう感じで恐らく発覚したのだろう。そういうわけだろうか、大目玉を食らうことはなかったが、興味を持たれてなぜ試験を受けなかったのかを聞いてくる人がちらほらいた。普通給料を取るだろうと言われたものの、オレにとってはあの時選択肢なかったもんなあというのが本音だが、一応建て前として「アフリカに行きたかったから」と答えた。これはこれで本音でもあったのだが。


 ・これ、この話を通していったい何が言いたいかって。
 オレは大学受験の頃勉強の仕方もわからない人間で、それが大学の期間を通してなるほどこうすりゃよかったのかとわかっていった口の人間だった。できないのが悔しいからと机にかじりついて点数をあげるというような人間だったけど、そのかいあってオレの勉強の才能は開花されたし、要領よくなったし、結果を残すこともできるようになっただろう。
 ところがその勉強して成果を残すというこの単純なことですらも、表目じゃなくて裏目に出るってことがおこるのがこの人生でありこの社会。なんで受かっちまったんだー!!!と当時めちゃめちゃ悩んでいたんだが、落ちた人からすれば羨ましい話だろうが、受かった者は受かった者で地獄を見た。しかも結構生易しくない地獄を見る羽目に陥った。
 そういうわけで試験でいい点数とってよっしゃあーと喜べるなんて素直で単純な図式で語れるのはセンター試験くらい。今ではなんとか試験に名前変わっているのか。純粋に点数稼いで喜ぶとか喜ばれるなんてのはそこくらいで、そこから先はなんで試験やってんだとかなんで試験に通ってんだとなっても何らおかしくない世界。勉強と努力、刻苦勉励によって実力が開花した、その開花が全くの裏目を引くこともあるんだと。だからできるときにできる試験に間に合わせるというのは、これはもはやそれすらも実力。
 オレにはそういう意味での、つまり運という意味での実力がとうとうなかったんだろうなあと思う。そういう意味での実力のないやつは、いざという時にその中途半端な実力がかえって足を引っ張ることだってあるんだと。
 己の首を絞めかねない結果にだってなることもあるんだと。


 まあオレの場合はそれにしても運というか巡り合わせが悪すぎるようで、なんか呪われているような気もしないではないのだが。あれで通っていれば月給50万越えの幹部生活、となるともはや辞めようがなかったろうが、果たしてあのアンラッキーがラッキーだったのか、本当に呪われていたのか、それともそのアンラッキーというラッキーがあの時降りかかっていたのか、などと今となっても疑問を感じる。人生万事塞翁が馬とかいうから、まあ最後までわかりませんけどね。





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