秀吉vs家康






 信長の時代というのは、その時代の否定から始まっているともいえる。それはつまり今まで通りのことだけやっていてはとてもダメだという現世否定でもあり、先祖代々同じようなことをやってきた結果としての行き詰まりでもある。だからこそ将軍家も否定されねばならなかったし、僧や宗教も否定、武家も否定されねばならなかったに違いない。いいものはいいが、ダメなものはダメ。その結果としての乱世ということは、旧来の常識の否定ということも意味しただろう。今まで通りのことを今まで通りやっていてもダメなんだよと。


 信長は秀吉を重用したが、秀吉というのは出自は農民である。元々武家の人間である例えば柴田勝家などには、農民出身の秀吉など出自が卑しくてムリだったに違いないし、そうした確執というのはずっと続いていくことになる。もとが農民の人間に武家のことがわかるかと。こいつなどに武道がわかってたまるかということになるが、秀吉からしたら刀持ってチャンバラするだけの武家の人間などアホらしく見えたことだろうし、それは信長も同様だったはずである。


 秀吉の戦争は他の戦争よりも悲惨だったとよく話題になる。
 たとえば鳥取城の戦い。
 悲惨だったと話題にはなるが、ここから考えられるものは何かっていったら秀吉はいわゆる一般的な城攻めをここでは考えていなかったということである。そんなこっちも被害が甚大になりかねないアホらしいものをするよりは、食糧攻めだと。徹底的に囲んで食糧をなくしてしまう。こっちは普通に生活をする。これによってこっちは戦力を温存したまま敵だけは窮地に追い込むことができる。戦力が減らないために戦後に敵に攻められかねない可能性もつぶすことができる。隙が無いのである。
 これを秀吉は兵法を学んで古代の名将から学んでいったというよりは、例えば黒田官兵衛の入れ知恵とみるのが妥当だろうし、それを採用できるところも含めて思考が柔軟であるということができるだろう。なぜそうなのかといえば、元が武士でないから武士たるものという固定観念からまぬがれることができているということ。信長が否定したかった古さであり頭の固さというものから秀吉は見事に外れているといえるし、秀吉とはまさに信長の求めた理想的な人間であり、これこそまさに理想というべき戦い方だったとみることもできるだろう。


 賤ケ岳の七本槍といえば、例えば加藤清正が代表として挙げられる。
 加藤清正も出身は武士ではない。秀吉の母が姉妹か何かの縁で秀吉に採用され、そのまま各地を転戦し、熊本城主にまで上り詰めたという、ある意味秀吉そっくりな出世を遂げている。秀吉にとっても信長と同様、単純に優秀であれば使う、出自は気にしないというところがあり加藤清正は優秀なので使い続けた結果そのまま出世していったのだろう。


 しかし秀吉は死ぬ。そして関ヶ原の戦いで勝利した家康が天下を統一する。
 家康がやったことは皮肉なことに、信長の否定した世界観をそっくりそのまま採用することだった。武家は武家であり、士農工商をはっきりと分けた。当時世界有数の鉄砲大国だったのに、鉄砲を大幅になくした。
 これは秀吉のやり方や生き方の否定であり、対抗でもあったと言える。やはり専門家は専門家だよと。武家は優秀だし、世襲でやっていくことが重要。こうして江戸幕府は300年続いていくことになるのだが、その最後はやはり行き詰まりと乱世を迎えたのだが。それはつまり300年前と同様だといえる。
 幕末の金大量流出
 こんなことは秀吉なら絶対に起こり得なかった事態に違いない。


 ・こうして乱世と治世を繰り返していくのが歴史ではあるが、じゃあ何がこれを分けるかって題名にも書いた秀吉vs家康であるといえる。
 いいものはいいとしていいものを次々と取り込んでいくのが秀吉なのだ。出自を問わず、優秀であれば農民出身者でも使い、固定観念におさまることがない。役に立つものなら何でも使う。役に立たないなら武士でも排除する。私は武士だからというこだわりもないので、良さそうなものを次々に採用していける。
 しかしこうした存在というのは何をしでかすかわからないがために平和な時は脅威でもある。だからこそ治世下では反秀吉という旗印を持たなければならない。すなわち誇りをもて、専門家としての矜持を持て、目上を敬え、武士は刀であるとなるわけである。鉄砲も怖いが、それ以上に家康にとって怖かったのは秀吉の再来だったのではないか。こだわりもなく何をしでかすかわからない秀吉はまともに当たると勝ち目がない。それこそ鉄砲改みたいなものを用意して向かってくるかもしれない。鉄砲は規制すればなんとかなるが、秀吉の再来はどうしようもない。ならば、秀吉が出てきても脅威でない時代にすればよい。


 ・ここから最も言いたいことは何かって、専門家というのは果たしてどこまで優秀なんだろうかということでもある。専門家というのが人生掛けて同じことをするがゆえに優秀なのであれば、江戸幕府は当然維持されただろうし、ちょっとした混乱があってもすぐに収めることができたに違いないということ。優秀なんだから。30年とか80年かけて同じことをやっているのだから、当然優秀なのは間違いない。しかし幕府の倒壊は防ぎようがなかったし、それは突き詰めれば足利将軍だって同様だろうし、その前も同様だったに違いない。経験も豊富で武家たるものの生きざまは熟知しているだろうし、「武士は食わねど高楊枝」などというわけだが、それでも鳥取城の飢え殺しの前では手も足も出なかった。
 乱世になるから専門家が否定されるのか、専門家が否定されるから乱世になるのか、治世というのが専門家によって実現されるのか。そこらへんはわからないがそこらへんのヒントというのはここらを考えていくと出てくるように思えてならない。





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