ふと思いついたことだったのだが、滅ぶということはそれはそれで大切、というか重要、というよりある意味ではなくてはならないものなんじゃないかということ。別に悪事をなした人間は滅ぶべきだ、とまでは思わないものの滅んだものにそれはそれなりの非があるのではないかと思い疑ってかかるとかそう思って接することはそれはそれで重要なのではないかということでもある。
・晋という国に献公という人がおり、その下には3人の有名な息子がいた。申生、重耳、夷吾(しんせい、ちょうじ、いご)の3人である。夷吾は先日も書いたが、一時期晋の王位(というか公位)を務めていたこともある。自らが困っていた時には秦に食糧を援助してもらっていたのだが、秦から食糧援助を受けるとこれは好機と秦を攻め寄せたことでも有名である。この感覚というのは、プラスに言えば合理的に考えたものでありこの時代にしては恐らくかなり珍しい感覚だったのではないかと言えるだろうし、マイナスに言えばそりゃあ当然人でなしに見えたことだろう。このこととそう変わらない後年に宋襄の仁(そうじょうのじん)ということも起きており、戦国時代と違って春秋時代にはまだまだ合理性より儀礼を重んじるべきであるという見方が一般的にあった。
その時代にこれをできた夷吾は時代を先取りしていたというと聞こえは良いが、こんなことをできるとはもはや人間じゃねえという意味で人々から急速に信望を失ったに違いない。これはある意味わかりやすい滅び方である。滅ぶべくして滅んでいる。滅ぶにもまずは人々の信望を失っているということ。
・ではこれとは別に申生はどうだったか。
驪姫の乱(りきのらん)の時に、驪姫は王の命令で申生に「死ね」と命じる。
これを聞いて申生は即座に自害してしまう。親の命令に従わないことは不孝であり、それを疑うことも不孝であるということで死んだ。
この申生という人は決して頭の悪い人ではない、それどころかこの時代にしては非常に頭の良い人であり、良く学んでいたということ。長子であり、次代の王(というか公)となるべき人であり、英邁であり、その未来を嘱望されていた人でもある。
ところがその人にしていざという時には奸計にあっさりと引っかかり、死んでしまうのだ。驪姫の手玉に取られていると言ってもよいだろう。こうなると申生が果たして王に向いていたかというと甚だ疑問であるといえる。百歩譲ってストレートにはものすごく強かったとしても、少し変化球を入れられると途端にお手上げ。わかりました、死にますと言って自害する。こういう人が仮に生きて王座に就いたとしてもどれだけのことができるかは難しい。それどころか、王にというより生きることに完全に不適であってそういう人が早めに罠に引っかかって自害したことは晋国の乱には繋がったものの、晋の民にとっては案外幸福なことだったかもしれない。人々の生活や幸福よりも己の信念であるところの「孝」を優先したのだから。はっきり言えばいい人ではあったろうが、いい人以上の人ではなかったと言えるし、まして王位を継ぐなどということは少しレベルの高い話だったのではないかと思えるのだ。
つまり、早めに滅んでくれた方が良かった可能性はあるし、滅ぶということはいかにも悪そうに見えるものだが意外とそう悪いものでもないということでもある。よいものが滅ぶことは悲劇だろうが、悪いものが滅ぶことはそれはそれで必要だということでもある。
・まあこれも結論ありきの話なのかもしれない。
申生は死に、夷吾は滅び、そして晋には誰もいなくなった。晋の人々は困り、重耳をたまたま迎え入れた。この時重耳は62歳。この老人が王にどこまで向いていたかは未知数ではあったが、他に誰も就く者がおらず仕方なくなったところが覇者の一人とまで言われるようになった。積極的に王にしようというよりは、他に選択肢がなかっただけである。こうなると生き残った者は正解であり、死んだ者は不正解とつい言いたがるのが生きている者の悪い癖なのかもしれない。
ただもしも重耳が違っていたものがあるとすれば、申生は素直に死んだが、重耳は逃げたということ。
そして夷吾は秦が弱ったら恩を仇で返して攻めたが、重耳は恩を決して忘れなかったこと。
「三舎を避く」という言葉がある。
重耳は楚に亡命していた時に、もしも国に帰ったらどんなお礼をしてくれますかなと楚王に言われた。この時に重耳が言ったのがこれである。では仮に晋と楚が戦争になり、晋が勝っていてもしばらく逃げることにしますと。この解答は楚の中でも無礼なと思われたようであるが王はまあ亡命中だし他に何も約束できないだろうと許したようである。
ところが後年実際に戦争になった時に、重耳は圧倒的優勢であったにも拘わらず逃げた。当時は宋襄の仁みたいなことを尊ぶ時代なわけで、戦時であっても亡命中の恩を忘れなかった重耳の行動に当時の人は心を打たれたのだろう。
・覇者になった重耳も死んだ。これによって申生も重耳も夷吾も死んだわけである。それにいくら頑張ったところでいつかは死ぬし滅ぶということもある。こうなると歴史を見ていくことに果たしてどれだけの意味があるのやらという気もしないでもない
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