ということで三回目、エミリア編となる。
本当は書くつもりが全くなかったのだが、ふとオススメに出てきていて見ているうちに思いついたことがあるので。
・リマスター版でいろいろエンディングが追加されているが、エミリア編に関してはかなり蛇足なんじゃないかと思った。
ブルー編とか妙な終わり方をするので不完全燃焼というかはっきり言ってよくわからん、というかエンディングじゃなくて単純にバグってるだけなんじゃないか??というような終わり方をしているので、あれはもうエンディングとしていろいろまずかったのではないかと思える。エンディングの形を崩しすぎていて、もう単なるバグにしか見えないと。個人的にはあれ、壊れたかな?だったが(笑)
その流れでいろいろ追加されているうちにじゃあエミリア編もやっときますかとなったのだろう。
・とはいえ、グッドエンディングとトゥルーエンディングはあり得ないと思った。
エミリアという人はいつもウェディングドレスを持ち歩いている。これはもう作中一のぶっ壊れっぷりだと言える(ぶっ壊れってのはゲームのバランスブレイカー的な意味ではなくて内面がってこと)。このくだりで笑い出す人もいるそうだが、それくらい異常な人ってのがエミリアくらいしかいないんじゃないかというくらい壊れている。婚約者が殺害されて犯人が逃げ出し、しかもその濡れ衣を着せられて刑務所へ入りそこから脱獄ってんだから、その環境に適応しようと思えばぶっ壊れざるを得なかったのだろうが、まあそれにしても悲惨であり壮絶である。
そして任務をこなしていき(どういうのだったかは忘れたが)、仕事にも慣れ、強くなった。たくましくなったんだけど、その先で何があったかって婚約者を撃ちぬいてしまったというのがエンディング。なぜそれができたかって、たくましくなったから、強くなったからであり、人という生き物の生き方とその皮肉ってのを感じさせられるエンディングでもある。この悲劇を通して人が生きるってなんだろうねというのを考えさせるベクトルを持たせるってのが製作者の意図だったのではないかと思うし、ある意味バッドとノーマルだけで完結しているとも言える。婚約者を撃ち殺せるくらいに強くたくましく成長したのがエミリアなのだ。
・ヒューズ編によって万事解決、めでたしめでたしとなるがそれが整合性が取れないってのはエミリアの内面の話であって、それだけ荒んだ内面を持ってしまったエミリアがヒューズをぼこぼこにして万事解決あーすっきり、では話がおかしい。全てお笑いで流せてしまうほど大したことがない人生など送ってないのがエミリアであって、これはグッドではなく幻想というか、こうであったならばよかったなと。エンディングやラスボス等も含めてすべて知っており、もう大したことがないものだと把握済みであること。矮小化された現実、矮小化された苦しみ、矮小化された努力であり人生。そうである前提であればこれは可能だろう。しかしそうした整合性を追求していくと、常にウェディングドレスを持ち歩いているエミリアという人の存在そのものが矮小化してしまって、果たしてこれはどうなんだろうなあ?と。
この二人の友達もしっかりした人なのに、最終戦前にウェディングドレスに着替えましょうとやっている。でもこれは友達がおかしいのではなくて、それをさせるほどまでにエミリアという人がおかしいがゆえにこうなっているわけで。ある意味では介護だと言える。他者によって介入されなくてはならないほどに、外見はともかく内面はもうボロボロ、その内面に寄り添う友達がいるのだがそれがひどく優しい。その優しさが輝いて見える。
いっそエンディング増やさずにこのバッド一本でもよかったくらいにエンディングとして見事に完成されているのではないだろうかなあと思う。それにバッドエンディングの時にルーファスの言うセリフ、「お前の顔はもう戦えない顔だ」これはエミリア編を見事に言い表しているのではないかと思った。強くたくましくあるがゆえのぽっきりと折れてしまった心、それを鈍いルーファスですらわかって思いやっている、これはエンディングとして非常に素晴らしいのではと思った。
・というかスクエニってのはスクウェアとエニックスだった時の方が両方ぶっ飛んでいた気がする。スクウェアは特に牙を抜かれた感が強いような印象。勝手に考えるとこのヒューズ編のエンディングってのはエニックス風味な印象でなんかあまり好きにはなれない。スクウェアはぶっ飛んでいてナンボだしその方が印象に残るような気がする。
クロノトリガーあたりで初コラボかなんかしてめちゃめちゃ期待された上におもしろかったんでこれは!となったのかもしれないがどうも実質的にエニックスによるスクウェアの吸収な感じがどうも否定しきらない。
まあクロノトリガー1周くらいしかしてないけど(笑)
この記事へのコメント