タクティクスオウガに関する話題についてはほぼ書き尽くしたんじゃないかと思っているが、それでもちょっとしたことでもしかしたら何か浮かぶかもとは思っているものの、まあ一年に一個程度出てきたらラッキーという感じになっている。でもまだ何かある気がするんだよなーとは常々思っているところ。
多分今日の内容は感想文見たくなる気がする。
・タクティクスオウガの最も秀逸なものというのがバルマムッサの虐殺のシーン付近にあると思うものの、これにまつわる要素というのを完全に把握しきれているとは言い難いと思っている。とはいえそれを完全に把握し、または指摘することが困難なのは確かなのだが。
ただこれを所詮ゲームと思っている人と、ゲームとはいえ真剣に考えた人とでは何かが違ってくるのは確かだと思っている。それは何かって、虐殺とはいえ所詮ゲーム内の出来事に過ぎないと高を括っている人ほど得るものが少なくなり、現実的に虐殺しなければならないことはないにせよ、何かを決断する時に一線を踏みだせないことが多くなる。結局は踏み出さねばならないわけだがその出来事を自らのことであると思って主体的に行うことができるかどうかという点に大きく関わってくる。これが感情移入というものの効果だろうかと思うものの、はっきりしたものが出せない。
逆に感情移入しまくって考えた人間にとっては(特に私のような人間なんだが)、感情移入しまくっていて自分を確かにその物事に携わらねばならない人間であるという自覚はできるのだが、その反面のめり込んでやらなくてはいけないという妙な覚悟ができており、視野がやや狭まる傾向がある。そのため、いやーそこでそこまで没入してやらなくてもという場面で没入してしまうことが多い傾向はある気がするのだ。
いやーそこでハマらなくてもという人ほどハマる傾向が出てくることで変なところでハマる傾向が出てきて、本来もっとハマるべきところでハマれない現象が起き、あるいはそこまでハマれない状態が維持できない現象が出てくる一方、そもそも感情移入しない人ほど得るものが少ない反面、その視野の広さを持って人生を生きられるものの肝心なところで没入感が得られないがために事態を自分に引き付けて考えられない傾向が生まれ、よく言えば視野が広いものの悪く言えば他人任せ、やや無責任な生き方になる傾向が出てくる。この二つのものを程よく持つということはなかなか困難で、どっちかに多く偏るというこの現象を何というかはよくわからないが、この現象の出所が確かにバルマムッサの虐殺に対してどれだけ真剣に考えたかということから生じているらしいことはどうも確からしいという話。
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