サガフロの話2






 アセルス編のエンディング集


 ということで前回はブルー編が後味の悪い最悪なものだったって話だが、考えてみればサガってのはそういう最悪の要素を数々残してきたゲームでもある。
 ロマサガ1なんてガラハドという男が
 「ねんがんのアイスソードをてにいれたぞ!」
 と言っているところに(これ最強の剣)
 「ころしてうばいとる」
 なんて選択肢があり、これを選ぶと
 「うわーなにをする」
 と言って即死亡する。というか殺害される。最強の剣を手に入れるほどだからこのガラハドという男もそこそこの手練れであってもよさそうなものだが、まあそんな事情は一切考慮されない。選択肢を選んだ瞬間に瞬殺される。これが妙におもしろおかしくて、とうとう伝説になった感すらあるのだが、まあサガ系というのはそういうゲームを作る伝統があるのだろう。そこにんなアホなという要素をぶっこむことで究極の笑いを取りに来る感じがあると。
 で、ブルー編ってのもそういう感じだがそれをややシリアスにしてみた感じが恐らくブルー編。急に殺害予告してくるあたりがこのブルーという男のヤバさを物語っている。というか見えないところでルージュも同じようなことをやっているのだろう。


 ・で、アセルス編。
 詳しくは動画の中にあるが、アセルスは一度オルロワージュによって殺されているが、その血を分け与えることによって生き返った経緯がある。それこそ「表彰モンじゃねえか」って話だが、オルロワージュからすると退屈しのぎにやった程度のことでしかない。それによってアセルスは半人半妖となった。人からするとあいつは人間じゃないとなるし、妖魔からすると所詮元人間かと蔑まれる存在になってしまった。命は助かったかもしれないものの、どこへ行っても爪弾きにされる人生になってしまった。まさに世界に一つしかない人生と言うと聞こえは良いが、その実態は悲惨でどこへ行っても誰からもバカにされ蔑まれ疎まれる人生になった。


 ・人間エンドでは、オルロワージュにとってはつまらない人生かもしれないけど、でも誰もが生きているということを主張する。そんな言葉はありふれており飽きたと言われる。
 半人半妖エンドでは半人とバカにされようとも半妖と蔑まれようとも自分は自分だという。その自分が好きだからこの運命と共に生きると言う。
 オルロワージュにとってはそれがつまらない。この人(?)の行動の元にあるのは退屈しのぎであり、いかに楽しいことをできるかであり、その楽しさというのは自らの圧倒的な権力によってそれはできて当然であり、その面白い出来事はそれを当然証明できるものでなければならない。そのために犠牲が必要なら当然その犠牲は要求されていい。死んだアセルスが半妖となって生きていかざるを得なくなったそれすらもエンターテイメント。
 これによって自らのそれができる圧倒的権力が示され、そしてそういうことをしてみたいという自らの暴力的欲求、それとセットになった好奇心も満たされ、そして最後に総合的な面白さも満たされた。これらというのはいわば三種の神器みたいなもので、人の中にも時折見受けられるものだと言える。これっていうのがサガ作品の中にある一種の共通点というか最も深いテーマの一つであり、ガラハドを殺害できる選択肢にもこれというのがどっかについて回る。選択肢を選べばガラハドは一瞬で死ぬのだが、そこにある独特なおもしろさとこのオルロワージュの内面というのは恐らくかなり一致するのでは。そういうものをゲームをしながらプレイヤーの内から引きずり出そうとしてくるところがサガ作品なんじゃないかと。
 それが意味するものは欲求の芽生えなのか、それとも潜在的にあるそれらを発散させるためのものなのかはわからないが。ただ人の内面ってのはそういうものが確かにあり、そういうものを抱えたまま人は生きていかざるを得ないってのは確かなんじゃないかとふと思わされた。






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