陸遜(りくそん)
この人、三国志好きには「ああ、あいつか」で一発である。物語的には、とっくに諸葛亮(しょかつりょう)が出てきており武勇から知能へ兵法への転換は終わってるはずなのに、歴戦の勇士でもある皇帝劉備(りゅうび)がオレは強い!と呉軍に突っ込んでいき蜀軍を崩壊寸前までボロ負けさせたと。三国志といえば劉備というその人をここまで新人が打ち破るかということもあるし、その勝ち方も尋常のものではなかったということで有名だと思う。
ここらへんは夷陵の戦い(いりょうのたたかい)に詳しくは。
・夷陵の戦いは222年だから、そこから死ぬまでの20年間は呉の中ではスーパースター扱いだった。蜀の劉備と言えば物語の主役級で(少し違うがまあ大体は合ってるかなと笑)、しかも歴戦の勇士でもあった、その人物とその軍をまさかここまで完膚なきまでに叩き潰そうとはということでものすごい持ち上げられようだったに違いない。
しかしその晩年は悲劇である。
・陸遜の晩年といえば二宮事件が有名である。よくある世継ぎ問題だが、それにしても三国時代は袁紹といい劉表といいこの問題でそれまで築き上げてきた株を一気に落とすやつが妙に多いのだが、孫権のそれはそういうのを目にしてきたはずなのに、しかも賢いことで評判の孫権、お前までやるかというような性質のものである。
しかしこの問題の本質はどうも様々な要因があるようで、主には陸遜が陸一族であったということが重要ではないかと言われている。陸氏といえば、孫策が江東を一気に版図拡大、小覇王ともてはやされた時代に孫策と揉めたところで、孫策が陸氏と揉めて皆殺しにしたかなんかで恨みを買ってあっさり死ぬのだが、そこで微妙に出てくるのがこの陸氏である。「名士」という概念で三国時代を調べたとある研究者がそういうわけで、陸氏と孫一族の確執から二宮事件を分析していたのだがそれが非常に面白かったのを覚えている。まあ早い話が孫権からすると、兄を殺すきっかけとなった陸氏とのもめ事がかつてあったわけだから、いつかは陸遜をと思っていたのではということ。二宮事件というのは孫権の長年持ち続けた恨みの発散の場であったのではということだし、孫権はその頃60前後だがそれまでずっとその恨みを持ち続けていたのではないかということだし、そうなると耄碌もしていなかったのではないかということでもある。
まあそれがどうであれ、夷陵の戦いという華々しいデビューを飾った陸遜はそれによって悲憤慷慨しながらこの世を去ったと。大都督としても20年務めただろう呉の大人物がこのような異常なまでの寒々しい死にざまを迎えたということが、呉という国の暗部などを浮き彫りにしているように思えるのだ。
・そして陸遜の息子といえば陸抗(りくこう)であるが、この人も文武両道の呉の名将として知られている。この人は父陸遜の無実を主張し孫権の目を覚まさせた人としても有名である。あるいは戦場においては羊祜(ようこ)という武将とのやり取りが有名であり、三国時代も終わりを迎えて寂しくなった頃にいろいろな逸話を披露してファンを楽しませてくれる貴重な存在でもある。
陸遜、陸抗ときてさらにその子ときて、そうして辿ると陸遜の直系は早くに全滅している。みんな乱に巻き込まれたり殺されたりで早くに死んでしまっているのだ。あの大人物であるはずの陸遜という人物の周りがここまで異常なまでに暗いということは、三国志という物語をある一面から見た時のある一瞬垣間見える真実のような感じがして、個人的にはものすごく興味深いように思えるのだ。あれだけ大活躍した陸一族がまさか全滅しているとはと。それを一言で言い表せば「栄枯盛衰」ではあるのだが、もっとそれっぽく言えば夷陵の戦いで蜀兵を火計で多数葬ったからなあという感じもする。つまり呪いとか祟りなんて言葉を使えばそれっぽく言い表せるのだが、それもなんというかかなり微妙な話である。
そういうわけで個人的に栄枯盛衰でまとめたい。
驕れるものは久しからずではないが、あれだけ呉の名将として名高い陸遜でさえその末路は悲惨であり、華々しく出てきながらも終わりは陰惨としたものだった。まして我々は名将どころか凡人・凡愚であることを思えば、このことをより一層気を付けなければならないということ。人には恩恵を施し、人からいらぬ怨みを買わぬように細心の注意を払わなければならないということ。
夷陵の戦いで勝ったわけでもない功績のさしてあるわけでもない人物がその功績を振りかざして他に優越を感じたところで、陸遜ですらあの落ちようだったのだから、その落ち様は陸遜の比ではないということ。むしろそうした振る舞いが陸遜の末路を自らに呼び寄せているということに早く気付かなければならないということ。今の繁栄は所詮は一時の錯覚であり、2~3代も経てば滅んでいる可能性を常に視野に入れておくこと。そのためには優越よりは慈しみを持つべきであろうこと。
まあ教訓としてはこんなものでしょうか。
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