愚かさの極み






 多分今日の当然の前提というのはいかに長いものに巻かれるかであり、どの長い物に巻かれるかということであり、その巻かれ方であり巻かれ具合をどれだけ誇るかであり、そういう「長い物に巻かれろ」合戦の状態となっているのがこの国の現状ではと思う。どれだけすごいものに巻かれているかで優劣を、優等劣等、勝ち負けをつけたがるのだが、ところがどっこいこの日本は衰退途上であり給料も右肩下がり、オーストラリアにでも出稼ぎに出てみると給料が数倍上がるというのが「発見」されていると。理論でいうところの日本は貧しくなり、海外諸国が豊かになっているというのを裏付けるような話も多々出ており、そうなるとどの長い物に巻かれようとも苦しさは隠しきれないというのが現状になってきている感はある。どの長いものも青息吐息なのだ。


 ・しかしなぜここまで衰退したかというと、長い物に巻かれろという当然の前提があまりにもありすぎたからかもしれないとも思うのだ。当たり前だけど大学出たら就職、高校出たら就職。人生そういうものだという決まり決まった方程式があり、それがあまりにも正解でありすぎるがゆえにその他の選択肢を選べない。ならばこの貧しい日本の前にあったのは何かって、発想の貧しさではと。そしてその発想の貧しさを裏付けるのは何かって勇気や無謀の乏しさではなかったろうか。かつては、いやこの世界どこにもあったような「バカ」が既存の価値観にとらわれることなくバカがバカをやれる土壌がなくなった。バカの衰退が賢い人間を招き、賢さのゆえに日本は貧しくなったのではと思える。バカであり愚か者の跋扈するような豊かな土壌は失われているし、それらはいまや絶滅危惧種となっている。息苦しいがゆえに愚か者も姿を消すようになったと。恐らくはみんな賢くなった。だからこそみんなが一定の様式で生きるような世界になってしまった。


 だとすれば、人生賭けて「愚か」を貫くようなバカが一匹や二匹いたって何もおかしくはあるまい。というよりそういう世界だからこそ人生賭けてバカをやるようなやつがいなくてはならないのではないか。バカを生き切るということはある意味で豊かさの保全であり、その豊かさの保全が日本の豊かさに繋がり、衰退を繫栄へとつなげても理屈上では何らおかしくはない。理屈に縛られないバカ、バカを生き切ろうという大バカもそれはそれなりに必要なんじゃないか、なんてことを思った今日この頃。





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