主観性と客観性3






 ということなんだが、経験は材料であってそれを強さと優しさ、共感するか共感を拒むのかという方向性に関しては本人の問題であると書いた。しかし恐らく日本人の文化的特徴というのは恐らく「強さ」を良いものだとする風潮があまりにも強すぎるのではないかと思うのだ。下手すると強さ自体ではなく共感性の固辞であり拒絶をこの文化は大変いいものであり、そういうことを「エラい」というような錯覚の上に成り立つ文化がかなり根強くあるのではないかということ。これは別に共感性が全くないというわけではなく、その一部分だけが妙に肥大しており、これぞ日本男児みたいにもてはやされる奇妙な現象が起こっているのではというものである。そして我こそは日本男児みたいになって「エラい」みたいになっているうちに孤独死やあるいは孤独になっているケース、なんなら孤立しているケースというのは多いのではないかということである。まあこれには別に根拠らしき根拠はない。ただ思ってみただけのことである。


 ただ、日本人は言葉的に「強い」を漠然といいこととし「弱い」をこれもまた漠然と悪いことでもあるかのように扱ってきた風潮があり(酒とかまさにこれ)、そんな印象があるがじゃあそんなに強いことっていいことなのか、弱いことって悪いことなのかというのは一考の余地があるのではないか。まあはっきり言えば、役にも立たない強さなんてさっさと捨てて、弱さの方にある長所、すなわち他者への痛みがわかるとか、共感性があってより事細かに相手の状態を把握したいと思う気持ちとか、できない人間であるがゆえにわかるできないもの同士の妙な連帯感であるとか、できない人間同士でつるむ気持ちであるとか、そういうものを尊ぶようにしていった方がいい場合はかなり多いのではないかと思う。そうなると「欠点」は欠点でなくなる。人と人を結ぶ有用なツールであり、赤点の答案用紙が人と人とを結びつける力となるのだ(?)。
 まあこれはもっと端的に言えば、結局「コミュニケーション能力」、あるいはその欠如ってのはこれに行き付くんじゃないだろうかということでもある。本当は弱さへ、そして共感性へと行くべきものが強さへ、固辞へ、つまり拒絶へとなっているから話がややこしくなっているのではという話。







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