時が経つ。
10年、20年、30年と経っていくにつれて余計なものは風化し砕け、雨に流されて消えていき、風雨に晒されても消えないものだけが残る。硬い岩盤が、強固な思いだけが強靭な意志と共にある。
そうして初めてわかる、ああ、紛れもなくあれは真実だったのだと。
30年経って真実が分かったとして何になるだろう。
しかしそこに美と真実を見出すのは人である。
違う生き方もある。
偽物であり、誰にも祝福されず、平々凡々で取り立ててみるべきものもない。数多の可能性があったはずが、手に取ってみると大したこともないように見える。
しかしそうした生き方でさえも、時は10年、20年、30年と経つにつれて真実にしてしまう。嘘だとしても、経てきた時間は否定すべき隙間もない。
そうなるとこうも言える。
嘘を意志の力で本物にするのもまた人であると。
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