寄生虫2






 オレはこの概念によって辿ってきた道すべてを否定してしまったし、それによって寄生虫まがいのことを肥えさせていたということを振り返ってみると非常に良くなかったと思うわけだけど、それによって「人助け」をしていた自分自身を否定するようにもなっていった気がする。己の内にもそうした概念を見出すようになっていったというべきか。
 給料をもらい、正義感を満たし、正義側に立って被災者の方を見てはいなかっただろうか、いやオレ自身はそう思ってなかったとしても、助けられる側というのはひどく自尊心を傷つけられて、ああ人様の世話になるなんてなんてみじめったらしい!と感情を逆なでしていなかっただろうか。そういうことを考えていくうちにまともにそういうことにも向き合えなくなっていっているというのを感じた。それというのはうまくは言えないんだけど、特別なことという意識ではなくてむしろ日常側のことであり普通のことであって、だからこそ非常に厄介で深刻だという。


 最近九州で豪雨災害が悲惨であり、亡くなられた方も多数出たのだとか。以前のオレであればとりあえず出かけて行ってなんとかしようとしたんだろうし、とりあえず出かけてから考えるみたいなところがあったに違いないんだけど、今はもうそうではない。ああ、あの頃のオレもあんなことをやっていたんだろうなあとか、もしも今やっていたならやはり同じようなことをしていたに違いないと事態とかつての自分を重ねていろいろ思いはするものの、もうそういうことはしないだろうし、今後もしないのだろう。「寄生虫」という見方はそのくらい世界を大きく変えてしまったし、オレの内心の荒廃ぶりもそうなのだろう。


 人はいろんなことを見聞きし、考えて生きていく。
 しかし果たしてどうなんだろうなと。
 「人は経験は右肩上がりだから。人生にマイナスなものはないから」とかつて言われたものの、明らかにこれは大きなマイナスだったし、仮に真実を見れていたとしても、そう仮定したとしてもこれは明らかなマイナスでしかない。それくらいなら何も考えずに給料だけあてにするとか、終わった後の一杯が美味しいんだよなあとか、あのやり切った感、充実感がいいんだよなあとか。人生そのくらいでいいんじゃないだろうか?
 今となってはそう思う。


 賢いがゆえに死に絶えた世界もある。
 同様に愚かであるがゆえに楽しめる充実感もあっていい。
 被災者の大粒の汗を見ながら、なんとなくそんなことを考えていた。




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