寄生虫






 最近寄生虫という概念にやたらに囚われている。


 事の発端は例の安倍総理暗殺事件以来だろうが、あの事件によって統一教会の恐らく全貌を知らされて、あるいは知っていって唾棄すべき存在だと思うようになっていった。学生の時にたまたま触れていることもあって、あの組織のやっていることはやはりああかと思うようになり、そして信者に献金させて多額の金を巻き上げて次々に不幸をまき散らす、そういう存在があっていいのかと憤りを含めて思うようになっていった。
 しかし別の見方をすれば、実際に殺人にまで手を染めているのは山上さんだけであり、この日本で銃を使っていること、そして選挙期間中であり民主主義の敵であるということもわかるようになっていく。そうすれば巨悪であり根本的問題は確かにそりゃ統一教会だろうが、しかしじゃあ何かしら法に触れるようなことをやったのか?というのもわからんではない話であり、その観点からいけば明らかに悪いのは山上さんだけだったりする。次々と不幸なことが起こり、その結果として山上さん二号や三号が出てきたとしても、結局悪いのはその二号や三号であり、その悪者を潰していくことしかできなかったりする。寄生虫と言えばまさにこれこそ寄生虫、人、人生、社会を今後とも食い物にする悪しき存在ではあるだろうが、かといって何かができるわけでもない。関わらないのが明らかに正しいし、関わった以上は何があろうとも犯罪を犯してはならないのだろうし、犯した時点で犯罪者しかそこには残らないのだろう。


 ・話は一気に変わるが、この寄生虫という概念にひどく囚われるようになったのはそういうことがあったからなのだろうが、自分の存在がひどく寄生虫じみたものに見えるようになったのはそのせいかもしれない。
 数年前、この季節だっただろうか、西日本豪雨災害で広島へ行き率先して働いた。そしてそれをいいことだと思ってきたし学びの多いことだとも思ったが、最近急に己の行動がまるで人の不幸にたかる寄生虫であるかのように見え始めた。いや、そんなはずはない、オレはやるべきことをやっただけだし別に恩に着るべきことでもないと思っていた。最前線で命を懸けて働いて、その結果多少なりとも地域に貢献できていたはずが、気づけば己が寄生虫じみたものに見えてきて仕方がなくなった。そして自衛隊という組織自体にも、そうなんじゃなかったろうかという迷いが見え始めるようになってきた。誇りであり生きがいであっただろうものが、急に寄生虫に見え始めてきたのである。そしてこういう見方は恐らくかつては普通にあっただろうし、それに当時の人たちは耐えてやってきたという話はちらほら聞いてはいるが、まさかこの概念に自分がここまでひどくとらわれることになろうとは思いもしなかった。とはいえ、それが寄生虫であろうとなかろうと、自衛隊という組織が解体されてなくなれば、もはや自治の精神で地域でやるしかなくなることを思えばやはり自衛隊という組織は必要だと思うし、こういう雑念にとらわれてはならないというのも正しいとは思うのだ。ただ自分自身の見方が妙に凝り固まってしまいつつあるというだけの話である。つまりはいわば不幸にたかって正義感を満たすという正義感的な寄生虫に見えるという話である。


 ・そうして一命を賭して働いて後に待ち受けていた事態が本当に悲惨だった。一月丸々そうやって最前線で働いた末に手当を貰って、あの時は大変だったからなあと同居人にお金を分けたりしたのだが、そのお金によってまさか仕返しを食らうことになるとは思いもしなかった。オレは命がけで働いたが、同居人はそれをオレへの八つ当たりとして使ったのだった。
 本当に悲惨だったのは、オレが真夏に命懸けで働いたその金を最終的にゲームに使っていたことがわかったんだけど、これがどう考えても統一教会の形と合致すると。オレが必死で働いて、その金を二分割して(なぜ分割したのか今でもわからん)それによって金が貯まったからオレを陥れて踏み台にして自分だけは助かろうとして、なんなら余った金で豪遊する。
 本当に悲しいことなんだけど、オレには山上さんの気持ちがものすごくよくわかるようになった。この腐った世界で何に向かって生きるか、何を本当に憎まなければならないのかがものすごくよくわかるようになった。言っておくと確かに言い方は寄生虫で汚らしい言い方ではあるが、しかしそれが別に犯罪行為でないのであれば、寄生するということは非常に賢いことだと言える。ただそこで怒ったり暴発するやつが犯罪者として摘発されるだけなのだ。問題がないのであれば寄生して何が悪い、騙されるヤツ、暴発するヤツが悪いという意味では、確かに人はみな同じような生き様を生きているように思える。


 ・究極的に考えると、この世界に寄生虫でない人間などいない。地球に、「生産物」に、そして他者にたかってない人間などいない。誰かが経済の最も難しいことをやってくれるだろうと。ならオレは安定した何も難しいことを考えなくても良い領域でやっていこうと考える人間はたくさんいるし、誰もわざわざ敢えてそんな難しくしちめんどくさいものをがんばりたくはない。そのオレは冒険をしない、挑戦しない、誰かがきっとどこかでやってくれるだろうの連鎖が、いわば経済的寄生虫がこの日本をここまで行き詰まらせてしまったのだろうし、そういう意味ではこの日本に今必要なのはわざわざそういうことをやろうという「出る杭」なのだと思う。


 しかしまあそういうことは置いておいて話を戻すと、人間に寄生虫でない人間はいない。みんながみんな誰かに寄生して生きている。その概念と、周りの人間がオレも含めて全て寄生虫に見え始めるというこのこと、これが全く同じことを言っているのにも関わらず、あまりにも一致しないことにどうも驚いているのだろう。それどころか生きているだけで多数に寄生され、多数に寄生しているこのオレという存在がひどく忌まわしい人間に見えるようになり始め、その醜悪さにひどく驚いている。
 そういうわけなのでまあ結論としては、この寄生虫という概念は取り扱い要注意だってことなのだろう。それは真実かもしれないが、真実だからといって考えているとどうもこれはひどく精神上の健康を害する代物であるらしい。


 「下手の考え休むに似たり」などと言いますが、まあそういうことかもしれませんな(笑)



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