真面目さとめんどくささ






 真面目さから始まるめんどくささはあるという話。
 一つ一つのことを丁寧にするってのはあるわけだが、それは真面目だから丁寧にやるわけだがわかり切ってることを100%でやって労力も時間もすっからかんで次のことができなくなるというのでは仕方がない。そこで真面目さからめんどくささが派生することになる。100%でやってたけど90%でなんとかならんかな、80%でなんとかならんかな、とやって空いた時間と労力で他のことをやると。真面目だからめんどくさいとなるが、そのめんどくささの先にもやはり真面目さがあると。そういう意味で真面目さから派生しためんどくささはやはり真面目さに帰っていく。それによって二つ三つ、できればもっととこなす仕事が増えていく流れになる。
 「自衛隊は二度手間を嫌う」と言ってくれた先輩がいたが、その時は意味がよくわからなかったがそれを突き詰めるとそういうことになる。真面目も行き過ぎると二度手間の手間を惜しまなくなるが、一回やったことをミスとかあってまた戻るとなるとかなりめんどくさい。めんどくさいがゆえにそういうことは極力減らさなければならないわけだが、頭がマヒしてて思考停止しているとそういう方向性が出てこなくなる。そこにめんどくさいという要素を入れてやることによって初めて単なる真面目さがレベルが上がると。要素としては全然違うものなのだが、真面目さの中にめんどくささを投入してやることによってよくなる例というのは確かにある。真面目さがレベルを上げるためにはめんどくささが意外と必要な要素だったりするのだ。また戻るのはめんどくさいがゆえに一発で決めると。今思えば、それを概念としてはともかく経験として把握できていたその人は蓋し慧眼と言わざるを得ない。これによって100%を90%にすることが意外と効果的で事態を打開するほどの力があったりするものなのだ。


 ・ということは「要するに」(今ここで全然要していない例を出そうとしているのだが)、めんどくささがある人ってのは真面目ということにならないかい?とふと思った。あるいはそもそもそのめんどくささという要素をもともと持っている人は、持っていない真面目なだけの人より、つまり自分よりも優れているということにならないかい?オレが苦労して会得したそれを先天的に持っているとはすげえええと思ったが、まあそんなことはないと。
 残念ながらそんなことはない。
 真面目→めんどくささは〇ではあるが、
 めんどくささ→真面目だとは言えない。
 なぜそうなるのか。めんどくささが先に立つっていうことはつまりそもそもやらないということになる。できる限りやらないし、できる限り手を抜く。それというのは100%→90%に引き下げてというのとは全く異なるもので、そもそもやらないと。0%で済ませたいのだが、やらざるを得ないから仕方なく0%を10%に上げることになるわけだが、まあ大したものではないと。どちらも同じ10%なのだが、100を90に下げるのと0を10にするのとでは全然結果としては違ったものとなる。
 そうなるとこういう結果になる。頼まれた仕事をしぶしぶやるから10%程度の結果になるわけだが、頼んだ方もいやあこりゃあかんでしょとやり直しを命じることになり、二度手間三度手間を通して結果をあげる流れになる。頼んだ方も疲れ果てるし交渉で揉めるし頼まなくなる、なんなら自分でやった方がいいわとなりかねない。となるとめんどくささから始まる真面目さというのは少し考えにくいものがある。


 ・まあそもそも真面目過ぎると次々に仕事を引き受けるので忙殺されて10%ずつになる場合もあるし、めんどくささが先行しすぎるとそもそも仕事を振られなくなるのでラクになるので10%をひたすら保つという処世術もあるにはあった気がするが、まあそれは別の話。


 ・さらに余談だがこれだけAIが発達するとめんどくさい意見というのはさらに重宝されるようになり、めんどくさいがゆえに一発でピシっと決めるために真面目なプログラミングをやるという流れはあるように思われる。そもそも人には時間も労力も制約が多くかかっているがロボットに関してはそんな制約は一切なし。合法的に24時間使い倒せるので自動化して勝手にやっててほしい場合は振って放置して問題が起これば対処というのもそれなりに合理的だったりする。そういう意味ではますますめんどくさい側の意見というのは重要になってきているように思われる昨今ではある。まあそのできたものも真面目側の細かいところまで行き届いた視点が必要なのではあるだろうし、こまめに見直しをするマメさみたいなものも重要になってはいるのだろうが。





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